エモーショナルな夜なんて窓から投げ捨てたいと思う
エモーショナルな夜という言葉の響きはどこかキラキラ感があり、そんな夜を過ごすことへの好奇心もあった。しかし心揺さぶられる夜はとても苦しくこんな夜ならば平凡で平穏な夜を過ごしたい。
そんなことを思いながら、私の夜を書いた。
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チョコレートをほおばる夜
目の前の残り一つになったチョコレートを眺めながら、これを食べてしまったら何かが終わってしまうような予感がした。きっと食べても何も変わらないと思う。この甘い時間が途切れてしまうことをどこか恐れている。
もともとはコンビニで「チロルチョコ」を一つだけを買いおやつとして食べていただけだったが、最近ではチョコレート一箱くらい食べないと満足できなくなり、結局それが夕飯にしてしまうことが多い。カロリー的には問題ないがどう考えても体にいいとは思えない。
それでもやめられない。
夜になるとちょっとした棘がナイフに変わってしまう。その棘は些細な言葉や映画やドラマのシーンや音楽のこともある。夜は魔物が住んでいるのだろう。その魔物に甘い餌を与えその時間の間だけでも安らぐ時間を取り戻したいと思っているのかもしれない。とはいえチョコレートをほおばっているときはそんなことを考えているわけではない。ただ、食べる言い訳をしているだけなのだろう。
今はバレンタインデーが近く催事場では多くのチョコレートを扱っている。「味見」という言い訳をしながら購入し至福の夜を過ごしている。
今ダイエット中であり、この1ヶ月は全く体重に変動がない停滞期を迎えている。それはこのようにチョコレートを夕食にするなどダイエットダメダメなことをしているからかもしれない。あと約2kg落としたい。
そんなことを言いながらも数ヶ月ぶりに夜のプリンを食べた。幸せだった。
映画で感じる夜
週末はプライムビデオを観て過ごすことが多い。どちらかといえば洋画が多い。個人的にはサスペンス要素のある洋画が好きであるが、気持ちを発散したいと思うときにはアクション大作のハリウッド映画、落ち込んでいるときはコメディ要素のある邦画を観たいと思う。
私には観ることができないジャンルがある。子供の不幸による親の苦悩。学校・会社や家庭などの理不尽ないじめ。たとえ評判が良くてもその憤りをどこに持っていっていいのかわからない感情を持ちたくないと思っている。幸せなファミリーや夫婦を描いたものもその一つで、たぶん自分が築くことができなかったことに対しての妬みである。
そして、夜に観ることができないのは恋愛を描いたもの。報われない愛を観ては感情移入する。きっと日中であれば特別な想いを感じないものでも、夜に観ると感傷的になり眠れぬ夜を過ごすことになってしまう。
闇は感情まで変えてしまうのだろうか。
ちなみに、最近では「窮鼠はチーズの夢を見る」でエモーショナルな夜を過ごすことになってしまった。また、私は菅田将暉さんが好きであるが公開されている「花束みたいな恋をした」はきっと夜に見ることはできないと思う。
その香りを感じる夜
「今、あなたのどことなく甘い香りを感じた。」
あの人からのLINEに書かれていた。確かに数時間前まで一緒にいたので残り香なのかと思ったがそうではないと言っていた。あの人の中に私が住み着いたのかもしれないと思った。
私も夜になると記憶の中で香りを感じることがある。ただその香りは存在を感じつつも寂しさを伴う。それは手を伸ばしても触れることができないからかもしれない。その香りを直接感じたいと思いあの人が使っている香水を購入した。ユニセックスながら優しい香りで持続性がなく夜に付けても邪魔にならない。だから私は手首にその香りをまとうことであの人を感じながらベッドに入る。
最近深い眠りにつけない日が続いているが、寝ることに対しての恐怖感は薄れているような気がする。
心を揺さぶられる感情が訪れるのは、心のスキマ、たぶん受け入れられる余裕があるからこそ揺れるのだと思う。ただそのスキマはいつか埋まってしまうことを知っているからこそ、光から闇への変化を無意識に自分の人生に重ね合わせてしまった結果がそんな夜なのだと思う。
ただ、それをエモーショナルな夜と呼ぶのであれば、私はそんな夜を窓から投げ捨てたいと思う。
夜くらいは幸せな夢を見せてほしい。