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夏休みの宿題

息子はこのウイルス感染拡大により、前期は一日も大学にいくことなくリモート授業を続けていたが、どうしても課題が多くなり夜な夜な苦しい日を過ごしていた。今になってようやく夏休みに入ったようだ。おつかれさまとしかいえない。人と接しないからか髪の毛やヒゲは伸び放題。成人した子供なのでアレコレ言っても聞かないのでその部分においては放置している。

まだ8月だが、私の住んでいるところは小中学生が通学している姿を見かける。4〜5月は通学することができなかったため、夏休みを短縮したのだろう。子どもたちにとっては嬉しいのか悲しいのかわからないが、少なくとも夏の楽しみはいつもの年より少なかっただろうと想像する。

私の小中学生時代は「ドリル」「(絵)日記」「読書感想文」「絵、工作または自由研究」の4大宿題が主だった。

「ドリル」一日にまとめてやり数日で終わらせていたが、それ以外のものはどうしてもなかなか手を付けることができなかった。基本的には嫌いなことを先にやるタイプではあったが、それはあくまでも「目処」がついているものであり、「読書感想文」や「絵、工作または自由研究」といったものはあまりに先が見えなすぎてやる気が削がれてしまい。結局は夏休み終了1週間前くらいになって慌ててやった。読書は嫌いではなかったが対象の「課題図書」は当時はほぼ興味がなかったものであり読むことが苦痛でならなかったし、それに対してどう感想を書いてよいのかわからなかった。

また「日記」は大人になった今であれば些細なことをネタにして書けるが、子供のころはイベントがなければ書けず、しかし毎日イベントなんてないわけでそれでも無理やり書いたのだろう。

結局のところ、惰性でやっておりあまり意味のあるやりかたをしていなかった。勉強というものは一日にしてならず継続すること、またこの休みの機会に読書をし感性を磨く、自分で考えることを学ぶということ。それを子供時代に気付けといっても難しい。だから強制的に宿題が出されるわけであるが、私の場合はイヤイヤやっていたので身につかなかった。

今の小中学生の夏休みの宿題事情はどうなのだろう。夏休みが短い分、少なかったのだろうか。息子が小学生のころは絵や工作といったものは「親の宿題化」していた。私は創作することが苦手だったので多少の手伝いをしたもののあまり役には立たなかったが、最近では宿題代行サービスなんていうものまで出ている。需要と供給の関係で考えると成り立つのだろうと思う。親が宿題をやること自体代行サービスの一貫であるが、代行サービスを使うことについては個人的には「NO」である。

子供としては宿題が嫌ということはわかる。親としても子供の宿題について「やったの」と口うるさく言わなくてはいけない。親が多少手伝うというのは有りだと思うが、第三者にしかもお金で解決するには子供にとってはもちろんのこと、親にとってもいいことではない。

学校の宿題の出し方や内容についてはなんとも言えないが、宿題の意味について子供と一緒に考え、出されたものは決められた期日までに提出するといったことをすることで、学力だけではなく、常識、社会性などを少しずつ磨いていくのだろうと思う。

こういうことは大人にならないと気が付かないもの。私もそうだしきっと未来の大人もそう。大人になれば「生きていく」という大きな宿題を出される。それをイヤイヤやるか、楽しみやるかによっては先が変わっていくかもしれない。

余談だが、過去に小中学生の夏休みの工作で入賞したものが展示されているものを見たことがあるが、間違いなく親が手出ししたということがわかる作品が多い。私がそう思うくらいなのに、どういう基準で審査しているのだろうと思う。