その手をはなすとき
「蒼汰、危ないから手をはなさないでね。」
息子はベビーカーに乗るのがキライだった。ベビーカーは遊ぶものだったからだ。だからいつも押したりひっぱったりしていた。そんな姿はかわいいと思いながらも、道路に飛び出してしまうのではないかといつもヒヤヒヤしていた。本当はベビーカーに乗っていて欲しかった。
そんなこともあり最近では歩いて出かけることが多くなった。スーパーでは私の手をひっぱりお菓子売り場に誘導する。
「コレ買う。」
ニコニコしながら大好きな仮面ライダーのおもちゃ付きのお菓子を私に差し出す。私は息子に甘い。だからつい一つだけねといって買ってしまう。
そして買い物の帰りは近くの公園によって遊ぶ。公園に友だちがいない時は私も息子と一緒に砂で山を作ったり、お団子にしておままごとごっこをした。私は息子の遊びにつきあうのがツラかった。どうやっても子供の心になりきれないからだ。
◇◇
蒼汰が小学生になったとき私たち夫婦は離婚した。私にとっては単に離婚届を提出し他人になっただけであったが、蒼汰にとってはおとうさんがそばにいなくなったのだ。それでも一度も「おとうさんは」と質問することはなかった。
蒼汰が小学生になってからは、今までのように一緒にお出かけすることが少なくなった。生活費を稼ぐために働かなくてはいけなかったからだ。
それでもお休みの日はできるだけ一緒にでかけた。自動車で出かけることもあったけれど、できるだけ歩いたり電車を使った。
「蒼汰、危ないから手をはなさないでね。」
つい、蒼汰が幼児のころと同じように声をかけてしまう。「大丈夫、はなさないから」とぎゅっと握り返してくれた。きっと心の中では寂しい思いを感じていたのだろうと、その握る力が感じさせる。
この先、この手をずっとはなさない。
私はそう思っていた。
◇◇
そんな蒼汰も中学生になり、高校生になり、大学生になり、そして成人した。大きくなるにつれ一緒に出かけることがほとんどなくなった。特に反抗期があったわけではないが話すこともほとんど無くなった。
「男の子はそんなものよ。」
子育ての先輩からよくそう言われる。
これまで父親がいないことに対するいろいろな葛藤があったはずだ。その選択をした私のことをどう思っているのかはわからないけれど、きっと受け入れてくれたと思っている。
これからは彼自身で自分の生活と幸せを考えていく番だ。この手をはなし、飛び立つのを見届ける。
「ありがとう」
蒼汰が一言つぶやいた。
その手をはなした後も、私はずっと見守っていくだろう。
時々、ぎゅっと握り返してくれたあの手の感覚を思い出しながら。
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noハン小冊子に掲載したものです。
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