【神山まるごと高専受験記】私の恋物語。1人じゃない受験から得たもの。
私にとって、神山まるごと高専は運命だった。
教育を変えたい私にとって、
人と違う道を選択したい私にとって、
「新しい」ということに人一倍ワクワクする私にとって、
神山まるごと高専というニュータイプの学校、そして受かったら一期生になれることは、もう運命に違いない。
これは、神山まるごと高専に恋している私の、光だけでなく影も、隠すことなく綴った受験記だ。
10月1日。新たな始まり。
課題レポートが発表された10月1日。
私は、サマースクールで出会ったメンバーで立ち上げたプロジェクトのミーティングをしていた。
ちょうど発表があった直後のミーティングだったから、「推薦入試の課題3つもあるのか〜!」ととても驚いていた。驚きと、ワクワクと、不安と。3つの感情が入り混じった、変な感じだった。
その日のうちに課題への理解を終わらせ、ここまでは計画通りだった。
ここまでは。
その日から、寝ても覚めても何しても課題のことを考える生活がスタートした。
とは言っても、最初の8日間は全く課題が進まなかった。ずっと考えてはいるけれど、いまいち「これだ!」と自分の中でならなくて、驚くほど進まないことに、正直、不安と焦りがあった。
「これ、私大丈夫かな?」って。
でも、ワクワクでその不安を封じて、負の感情と向き合わないようにしていた。
だって、恋しているひなこだもん。恋しているのに、不安ばっかりでどうするの?って。
振り返ると、「恋している少女」という肩書きのようなものが、自分自身に大きくプレッシャーを与えていたように思う。
10月9日。ひらめき。
そんな中、10月9日にワークショップを開催した。第3回目となるワークショップだ。
そのワークショップで、参加者の方からヒントをもらった。参加者の方がポロッと出した一言から、「これだ!」となった。そこから、課題1の、つくりたいモノがどんどん形になっていって、「あ!これいける!」って、すっごくワクワクを抱いたことを覚えている。(その時母は札幌に転勤になった父の家にいたから、23時ごろだったのにも関わらず電話をしてアイデアを語った。)それからの3日間は、つくりたいモノの課題にずっと取り組んでいた。
そのつくりたいモノは、きっと社会からのニーズはあった。
学校で、友達や先生にピッチをして回っていた時も、「これ欲しい!」とか、「これすごい!」って(多分)お世辞なしに言ってくれていたから。
その時は、私も友達や先生からの言葉が嬉しかったし、このアイデアにすっごくワクワクしていたし、自信を持っていた。ただ、少しのモヤモヤを抱えながら。
「アイデアは一度寝かせるといい」って、その時読んでいた本に書いてあったから、一旦違う課題をやろうと思って、つくりたいモノの課題から離れた。
これがなかったら、自分の中で中途半端な状態で課題を提出していたかもしれないし、ここまで思い悩むことはなかったかもしれない。と、振り返った今は思う。
10月16日。不安と焦り。
素敵なアイデアが生まれた10月9日から7日後の夜。
私は次の日の英語のテストで提出しなければならないワークに追われていた。
「なんで今このワークをやってるんだろう。」
「今やるべきは課題なのに、なんでワークをこんなに必死にやってるんだろう。」
1問解くたび、時間が1分2分経つたびモヤモヤが大きくなっていった。
10月に入る前から提出しなければならないことを伝えられていたのに、計画的にワークをやっていなかった自分を悔やんだ。
でも、自分の計画性のなさを理由にしても、ワークを「今」取り組むことがすごく辛いというか、灰色のモヤモヤが私の頭の中を埋め尽くしていたから、残り2ページだったワークを閉じた。
そのモヤモヤは、落ち着くこともなく、どんどん膨れ上がっていった。
それだけでは終わらず、ワークをやめて、「やらないと」と思っていた課題に取り組もうとした時、涙が出てきた。
「あれ、なんで学校に行ってるんだろう。行ってる時間、課題に使いたいのに。」
そんな思いに、気がついてしまった。なんか変だな、と思って紙に思いを吐き出したら、不安と焦りが詰まった「なんで?」の文字がたくさんあった。「疲れた」「休みたい」の文字もたくさんだった。
イベント参加、受験の課題、勉強、学校の課題、目の前にあることに全部頑張っていたから、気づかないうちに、体も心もかなりキャパオーバーしていた。自分のその状態に気づいていたけれど、隠していたようにも思える。
「やらないと」という気持ちと、動いてくれない体の矛盾に苦しむ勉強。「ワクワク」という気持ちで不安という気持ちに蓋をしていたことに気づいてしまった課題。
週に2日しかない休日は休むためにあるのに、やらないといけないことがありすぎて、休めなかった体はすごく疲弊していたし、たくさんのことに追われているのに何一つ進まないから、心もかなり弱くなっていた。
それでも、次の日は学校に行こうとしていた。「行かないと」って思っていたから。
「寝たら直るよね。落ち着くよね。」とそれを信じて、混乱状態でとりあえず寝てみたけど、次の日の朝はいつもみたいに起きられなかったし、起きようとしても、ご飯を食べていても、ずっと涙が出てきた。
学校に行けるような心体状態じゃなかったら、その日は学校を休んだ。その夜、ママに気持ちを全部伝えて、これからどうするかを話し合って、課題の見通しがつくまで、学校をお休みすることにした。
「後悔したくない。」そんな思いで、これを決めた。
神山まるごと高専の受験を舐めていた。
楽しいだけですらすらいくと思っていたから、こんなに止まる期間が長いとは思わなくて、すごく辛かった。「落ちるつもりはない。」と言っていたけど、覚悟が足りなかった。
ただ、ここで立ち止まったからこそ、覚悟を決め直して、本当に今「やるべきこと」と真っ直ぐ向き合って、取り組むことができた。
部屋を「脳内」と呼ぶようにして、素直に、集中できる空間にできるように関係ないものは全部違う部屋にやった。壁が自分の脳内みたいに、思いと想い・ワクワクとモヤモヤ・知識と情報で埋め尽くされていった。
それでも、覚悟を決め直しただけでは、部屋を紙で埋め尽くしただけでは、課題は進まなかった。
10月28日。光と影。それを受け止めるということ。
課題3の商店の課題は、神山町に住んでいる方との対話や、アンケート、インターネットの記事を通して案を出し、神山町にしか作ることができない商店を考えることができたが、つくりたいモノや起こしたいコトが、まだこれだ!と確信できるものではなかった。
でも、ママやパパに相談することは、あまりしたくない思いが強かった。結局相談をしても、アイデアを良いか悪いかで判断する私を見かねたパパは、ある金曜日の夜に、大切なことを教えてくれた。
「ひなこは評論家みたいになってる。誰かのアイデアだからダメとか関係ない。それって、そのアイデアを内側の人間として捉えていない。全部1人で作らなくて良いんだよ。全部1人で考えなくて良いんだよ。頼って良いんだよ。ママとパパはそのためにいるんだから。」
そこで初めて「全部自分で作らないといけない」というプライドが邪魔していたと言うことに気づいた。私は1人で全て抱え込んでいたんだと気づいて、涙が溢れた。
そして、
「ひなこ辛いんでしょ。ワクワクってみんなに言ってるけれど。本当はすごく辛いんでしょ。苦しいんでしょ。辛いの当たり前じゃん。1人でやってたら辛いに決まってる。ワクワクすることだけが美しいわけじゃない。辛いことがあってもいい。辛くてもいい。山川咲さんの光と影のnote、読んだでしょ?光と影があっていいの。それでいいの。」
今まで自分の中で、「恋している女の子なんだから、不安ばっかりじゃダメだよ。辛いとか苦しいとか思っちゃダメだよ。」と思っていたことを、少しだけ認められた。そして、その後1人になって、泣きながら山川咲さんのnoteを読み返した。きっとそれがなかったら、つくりたいモノは完成していなかったし、私の成長はなかっただろう。
そんな大切なことに気づかせてくれたパパと山川咲さんに、すごく感謝している。
何度も読んだ、山川咲さんのnote↓
私には、光と影がある。
毎日ワクワクで、課題に取り組むのもワクワクで、未来にもワクワクしているという、「光」。
辛いことも、落ち込むこともたくさんあって、本当はワクワクよりも不安を抱えているという、「影」。
今まで、自分を好きになるとか、自信を持つとか。自分の光の部分ばかり認めようとしていたけれど、自分の「影」の部分を認めてあげることも、大切なのかもしれない。そう思った夜だった。
そして、影があるからこそ、人は美しい。そう確信した夜だった。
そこから、すぐに完成したわけではなかったけれど、パパやママの力を借りながら、毎日課題に向き合った。
11月6日。完成と提出。
最後の一週間は、毎日泣いていた。
辛い涙も。苦しい涙も。嬉しい涙も。感動した涙も。
全て経験した私は、それだけでも強くなったように思えた。
自分の影を受け止めながら、最後まで楽しんで、完成させることができた。
そして、そうやって完成した私の作品は、ものすごく自信があった。だからこそ、一次試験に合格したとわかってからも、驚くほど冷静だった。
12月1日。大事な思いという落としモノ。
私はまたあの場所に戻れることが嬉しくて、ウキウキしながら、そして感動しながら飛行機を乗り継いで、徳島県についた。(飛行機から降りて泣いたのはきっと私だけだろう笑)
ホテルのチェックインを済ませると、歩いて眉山神社まで行って、お参りをして、お守りを買って、絵馬を書いてきた。
神社で、何千円も支払って神様にお願いをしたいと思うほど、私は神山まるごと高専を志望する気持ちが強かった。だけど、ここじゃなければならない理由、行きたい理由がわからなくなって、本当に行きたいのかも、自信が持てなくなった数日間を過ごしていた。
入試2日前にして、大事な思いがわからなくなってしまった。というか、もっと前からだったのかもしれない。大事な思いと、私は向き合ってこなかったのだ。
焦って、A4のノートに神山まるごと高専への思いを書いていたが、どうしても全て埋まらず、その日を終えた。
12月2日。またあの場所で。あの景色と。
午前中は、試験会場である徳島大学の常三島キャンパスに行く練習をした。
間違って試験会場が蔵元キャンパスだと思い込み、バスで一度反対方向に行ってしまった。そのことにバスに乗っている途中で気づいた私は、バスの運転手さんに行き方を聞いて、教えてもらった通りにもう一度徳島駅まで行き、常三島キャンパスに行くバスに乗り換えた。
きっとこの練習がなければ、試験当日間違えて遅刻してしまっていたかもしれないから、事前に練習をしていて良かったと安心したし、練習の大切さを改めて学んだ。
そして午後からは、一次試験の商店課題の際にお世話になった方に、神山町へ連れて行っていただいた。
かま屋でランチをして、かまパンに行って大好きなチョコマフィンとあんぱんを買った。校舎と宿舎を見学しに行って、山川咲さんが前に行った大粟神社で参拝をした。
その後、本当なら徳島駅まで送っていただく予定だったけれど、どうしても神山町で1人散歩をしたいと思い、町に唯一あるコンビニでおろしていただいた。
連れていってくださった方に感謝をしながら、サマースクールの会場であるコンプレックスに向かって歩いた。
向かう途中、鮎喰川の橋で、綺麗な夕日を見た。
それは、サマースクールの最終日、一日多く神山町に残った私が決意を胸に涙した夕日で、そのことを思い出しながらまたここに戻って来れたんだと感動して、立ち止まって涙した。
それからしばらくして、止まっていた足を動かした。歩いても涙がボロボロ出てきて、目に溜まっている涙が日に照らされて眩しすぎるくらいだった。
ちょうどコンプレックスが見えたところで、隠れていた思いがはっきりした。
そして、ごちゃごちゃしてまとまりきらなかった志望理由も、はっきりした。
私はやっぱり神山まるごと高専が大好きだから、どうしても行きたくて、ここじゃなきゃだめ。一度揺れて、自信を失いかけたからこそ、行きたい!と自信を持って語れるようになった。
きっと私は、サマースクールの時に落としモノをして北海道に帰ってきてしまったのだと思う。神山町に戻ってきた強くなった私が、さらに強くなった思いを拾うことができたのだ。
神山町へ行って良かった。心からそう思った。
12月3日。面接での涙。
私にとって、神山まるごと高専は好きな人だった。
サマースクールは初めてのデートで、今回の試験は告白だった。
ワークショップ選考はもちろん、面接も全く緊張せず120%ひなこで、全力で、告白をすることができた。
面接で、「私は神山まるごと高専に恋しています。」と伝えるとき、気持ちが高ぶり思わず涙してしまったが、最後まで、諦めず自分の思いを伝えることができた。
だから、落ちたとしても、受かったとしても、後悔はなかった。やりきった!という気持ちがすごく強かったのだ。
私の受験は、1人じゃない。
私の受験は、決して1人じゃない。
応援してくれて、支えてくれて、一緒に考えてくれるママ、パパがいた。
辛い時に支えてくれる友達がいた。
私のことをわかってくれる先生がいた。
アイデアにアドバイスをくれる知り合いがいた。
アンケートに協力してくれる方がいた。
そのアンケートをシェアしてくれる方もいた。
神山町のことをたくさん教えてくれた方がいた。
できることをたくさん考えてくれた方がいた。
私の受験は一人ではなかった。
だからこそ、それをプレッシャーに感じることもあった。
それでも、応援し協力し支えてくださった方の気持ちを絶対に裏切りたくない、と言う気持ちで、最後まで楽しみながら走りきった。
そして、合格を掴むことができた。
こんな受験はきっと、「学校選び」よりも「生き方選び」を掲げる神山まるごと高専でしかできないことだ。
受験ではなく、人生と向き合ったこの2ヶ月間で、また私は大きく成長した。
きっと、神山まるごと高専での毎日は、この2ヶ月間のなかで起こったようなことが、たくさん起こるのだろう。
成功や成長という光の部分だけではなく、そのための努力や涙という影の部分も全て、あるはずだ。
光と影。
私たちは人の光を見て、羨み、憧れ、判断する。
そして、私たちは自分の光だけを受け入れ、影を受け入れない。
でも、「影があるからこそ、光がある」という言葉があるように、影は当たり前に存在することで、これなしには光は存在しない。影がないように見える光にも、必ずどこかには存在するのだ。
自分の影は、受け入れ難いものではある。でも、その影と向き合った先に、必ず光はあるのだ。
そのことを、深く感じた受験だった。
スタート。
私の受験は、学校のみんなよりも先に終わった。だけど、これは新たなスタートだ。
ママがよく言う「Just the beginning」という言葉がある通り、まだ始まったばかり。
神山まるごと高専に入るという夢を叶えて、「社会をアップデートしたい」という夢を叶えるためのスタートラインに、私はようやく立てたのだ。
神山まるごと高専に入学するまで、あと3ヶ月ある。
それまでに、自分と向き合い、数学と向き合い、離れてしまう大切な家族や友達との時間も大切にして過ごそうと思う。
最後に。
そして最後に、私のひそかな願いを書いて、この受験記を終えようと思う。
入学式で、代表の言葉を言えたら嬉しいなぁ。
長い長い私の受験記を、最後まで読んでいただきありがとうございました!
私の合格は、応援してくださる方々、協力してくださる方々、家族、友達、そして仲間がいなければ、掴み取ることはできませんでした。
本当に、感謝しています。ありがとうございました。
ひなこ