リアルよりもリアルに見える未来が私の現実を食い尽くしてくれた

「リスクがあるかもしれないけどやってみる。」と言ったら、
「やれそうだからやる。向こう見ずな行動には見えない。」と言われた。
「やれそうだからやる」という言葉が私にはすごく新鮮で、でもしっくりこなかった。

思えば、これまで私はやれそうだからやるという発想で生きてこなかった。
そもそも成功体験に乏しいから、自分にできるなんて思っていない。

それに、まじまじと見ていたら凍りつくような現実ばかりだったから、
現実の自分とは解離して行動せざるを得なかった。成功体験も能力も人とのつながりも無いしそれらの獲得のための手段も分からない。

そんな現実ばかりを見続けていたから、世界をありありと捉える力が弱くなってしまって、私には世界が色が無くモノクロのように感じられていた。
過去や現実を基点にして自分の行動を吟味する余裕はなく、緊急で行動することが多かった。

そのうち自分の身体がこの世界に存在していることに確信が持てなくなってきた。

何も見たくも聞こえたくもない現実がある一方で、未来はすごく煌びやかで美しかった。美しい未来はリアルな映像になって私の頭の中にやってきて、
私の現実の時間の大半を食い尽くしてくれた。現実には色がないのに、未来はカラフルに色付けされて、音もクリアに聞こえる。

未来で別人になった私は、なんでもできた。
心地よい感覚があって、他者となんでもないものを見て一緒に笑った。
自分の能力を生き生きと発揮して、やりがいがあった。

リアルよりもリアルに見える未来が頭の中で次々に上映される。
画面から身を乗り出して話しかけてくる。

現実と未来の区別が付かなくなった私は、未来に飛びついた。
未来の達成の手段が分からないまま挑戦して、そして失敗した。

そんなこんなで、私が行動するときは、いつも多くのリスクを伴ってきた。

何も積み上がってきていない。積み上げるというと、積み木みたいに、
1つ目を積んだから2つ目を積めるような、実態のある響きがする。
現実を歩んでいった先に、未来があるような。

しかし私は現実を基にして行動してこなかった。
過去を振り返ると、突発的なエネルギーの噴出のような行動が多くあるけれど、何か1つの形あるものとしてまとまっていないような感覚がある。
ばらばらだからその上に立つことができない。

そんな過去は現在とは積極的に切り離したいものだった。

しかし今の自分の行動が、他人から見たら「やれそうだからやる」ように見えるのであれば、今の私は現在から逃げるように、未来に飛びつくように行動するのではなく、現在を基点に行動しようとしているのかもしれない。

ばらばらと散らばっていて立てないと思っていた過去の上に、未来を作って行こうとしている。少し先に煌びやかで美しい未来が積み重なっているのかもと、思いをはせてみる。

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