鑑賞記002 オースティン・リー個展「Serious Works」 KaikaiKiki Gallery
会場入って右すぐにある「Digging a Hole」はのっぺりした塗りにソフトの機能を使用したようなグラデーションの他、陰影や煙がスプレーで表現されている。均一でない線による造形とシンプルな技術に見える作品は全体として「子供がソフトで描いた絵」のようだ。そしてそれがオースティンがこの展覧会において示そうとした認識を表す為の必然的なコンセプトであるという事が全体を通して理解出来る。
床面は白黒の格子柄。左手の部屋中央に3DCGで設計したような立体「Duo」、胴が長く足や股が見当たらない「Eyes」や背景と人物が塗り分けられていない「Who Cares」等、子供が描きそうな絵がコンピューターの機能による技術と合わさって作品化している。es」等、子供が描きそうな絵がコンピューターの機能による技術と合わさって作品化している。
若く、デジタルに慣れ親しんだオースティン自身が「現在・過去・未来の作家と私がどのような関係にあるのか」を考えた結果がこのようなものとなるのは必然的な事であろう。未来の作家となるのはきっと今、このような作品とよく似たものを自ら描き続けている子供達の中にいる。
「Pal」のボカシの効果、「Mr.Austin」等に見られるレイヤー化は技法としてはまるで違う性質のものだが同時に「デジタル的」という意味でひとつのまとまった印象を構成する(当然のようだがこれは指摘する価値のある事だ)。
立体を鑑賞する場合にもそのデジタル性が発揮される。鑑賞者自身がカメラとして高速で運動し、立体の周囲を回り、上から下に曲線を描いて視点を変え、首を曲げて角度を付ける事で、PC画面上でCGを回転させながら眺め回す感覚を得る事が出来る。高度な運動性を誘発する立体というのは他にあるのだろうか? 「Big Head」の周囲に鑑賞空間が広く取られていなかった事が残念であった。
「デジタルのイメージをアナログで表現する」。ワンアイディアのようで作品として実現してみれば新しく発見出来る事がいくつもある、決して馬鹿に出来ないという事が実際に鑑賞してみると肌で感じられるものだ。次回があるなら楽しみにしたい。
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