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8月27日は宮沢賢治の誕生日

記念日ではないのですが……ちょっとネタが無かったので、代わりに偉人の誕生日を祝う事にしましょう。

宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」なんかで有名な作家です。教訓が得られる児童向けの童話を書いていた事や、やたらに神格化された人物像などから、国語の教科書でよく紹介されます。もしかすると、日本で最も有名な作家のうちの一人かもしれませんね。

そんな宮沢賢治の著作の中でも特別有名な物語を一つ、簡単に語って行きたいと思います。

「注文の多い料理店」は、宮沢賢治の代表的な短編として広く知られています。傲慢な紳士二人が化け猫にまんまと騙されて武装を解き、罠にかかっていく姿が非常にコミカルで、印象に残りやすいお話です。

物語の概要やあらすじは、もはやここでは語らないものとします。基本的に誰でも知っている物語ですからね。

わたしも小学生の頃にこの物語を読んで、面白い話だと思った記憶があります。このくらいの頃の記憶はとにかく鮮明で、下らない事から感動的な事まで様々な事を事細かに覚えているものですが、「注文の多い料理店」に関しては殊更よく覚えています。こういう印象深さが、名作たる所以なのでしょう。

しかしこの物語、結構ツッコミどころが多かったりします。子ども心に「ん?」と引っかかった描写がいくつも見受けられ、疑問を抱えたまま過ごしていたものです。今日はそのうちの一つを取り上げてみます。

・犬

「注文の多い料理店」において、重要な役割を持つ存在です。獣狩りを楽しむ紳士達が猟犬として連れている二匹の犬は、物語の序盤で泡を吹いて死んでしまいます。それを引き金にしたように現れた料理店がこの物語の舞台なのですが……

・犬の死因

犬、何で死んだんでしょう……

テキストには「山がものすごいので」「泡を吐いて死んだ」という表現でしたが、これってどういう事なのでしょう。子ども心にこの犬の死因が一体どういうものなのか分からなくて、首を傾げたものです。

「ものすごい」山っていうのは、そもそもかなり抽象的な表現ですよね。児童向けであるからか、この物語では情景描写がかなり簡潔なので、この辺りは想像するしかないのでしょう。

高山病みたいなものなんでしょうかね。メタ的に一歩踏み込んだ考えをするなら、この先に現れる化け猫の妖気に充てられて倒れたとも取れますが……

・犬の生死が曖昧である事

物語終盤、化け猫の罠にかかって絶体絶命のピンチに陥っていた紳士達を救ったのは、他ならぬ序盤で死んだはずの犬達でした。気がつくと料理店は煙のように消え失せて、紳士達は助かります。元の山に戻った後、何事も無かったかのように犬が彼らの下に戻ってきます。

さて、これは一体どういう事でしょう。

序盤で死んだはずの犬が、終盤に生き返って戻って来るとは。

料理店が幻だったのは、化け猫が見せた幻覚という事で納得がいきます。しかし犬が死んだのは料理店が現れるよりも前で、犬の死が幻だとは思いづらいところです。化け猫が主人から犬を遠ざけるために見せた幻覚と考えると理に適っているようですが……ところがそうもいきません。

何故なら紳士達は、死んだはずの犬が現れた事に関して一言も言及しないからです。

死んだ……少なくとも死んだと思っていた犬が生きて戻ってきたら、少しくらい変わったリアクションをしてもいいではありませんか。料理店の中でパニックだった時ならまだしも、料理店が消えてなくなった後においてもその事について言及しないのは不自然です。まるで紳士達は犬が死んだという事を忘れているようではありませんか。

物語中で説明されていないこの矛盾には、一応解釈が可能です。紳士達は序盤で犬が死んだとき、「じつにぼくは2800円の損害だ」などと、犬の死を悲しむよりも犬が死んだ事による金銭的被害を嘆くなど、情の薄い人物として描かれています。そんな彼らが自らの生命を脅かされる展開に遭遇した時のショックで、その前の犬の死を忘れていたとしても、さほど不思議はないでしょう。犬の生命など、紳士達にとってはその程度の問題だという事です。

が、これは推測に過ぎず、真相はやぶの中です。

メタ的に言うと、物語がクライマックスに差し掛かった以上、細やかな部分に配慮してしまうと勢いを損ねてしまうため、敢えてその辺りは無視したという見方も出来ますが……物語を通してすっきりしない謎が浮き彫りになっているのは確かです。

だからこそ、印象に残るのですが。こうやって重箱の隅をつつくような真似をしたところで、「注文の多い料理店」は名作です。

そういうわけで、明日は宮沢賢治の誕生日。賢治の著作を楽しみましょう。

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