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幸せって何だっけ?今思うこと3つ

 幸せに生きるってどういうこと?ちょっと哲学めいた問いです。
 私は朝令暮改の人ですから、また意見が変わると思うのですが、たった今感じていることを書いておこうと思います。

1.幸せって、その瞬間に「良かった!」って思える、そんな経験の積み重ねかもしれない。
  自分が子供の頃に幸せだと思うモデルは孫たちに囲まれていた祖母でした。祖母は間違いなく幸せだったと思う。客観的に見れば不幸な生い立ちもあったし、祖父もやんちゃな人だったそうだから、いろいろあったけれど、祖母本人が私に「自分は幸せなんだ。」って言ってくれた。
  私は、周りとうまくやれないというコンプレックスで、得意でもないのに過剰に人に気を遣うようなところがありました。他人様を不快にさせないために何が出来るかをいつもいつも考えて生きていた気がします。そう、今、自分が気分よく生きているかに全くフォーカスしてこなかった。
  祖母の幸せと自分の幸せが、その環境と言う点で一致しなくてもいい、そう思えたのはごく最近。そう、ジャカルタでお誕生日をお祝いしてもらった時かな。一人だって幸せになれる。
  今、一人だけれど、ここ、シェムリアップに来れて本当に良かったと思っているから、心底幸せなんだと思う。

2.周りの気分の良さと自分の気分の良さが一致しなくたって、幸せになれる。
  私は他人の不機嫌が嫌いで、どうしても周りを優先しようとしてしまう傾向にあった。
  仕事場で単独行動と言うことはあり得ないし、だから、自分がどう感じているかなんて、気にしたことがなかった。
  ひとり旅を、そもそもは、時代から取り残される危機感だったり、狭い暗いが克服できずにどんどんエスカレートするんじゃないかという危機感もあって始めたことだけれど、思いのほか良かったと思うことは、自分が結構一人でいる限りゴキゲンな人間だったということに気が付いたこと。他人の感情に振り回されて、なんだかいつもピリピリしていたけれど、こうして一人で違う世界に来れば、たいていまあまあゴキゲン。
  そう、以前に書いたように期待値さえ上げすぎなければ、何処に行っても一人ならゴキゲンでいられる、そんな自信がついてきました。
  私が持っていた幻想のような、周りが喜ばなければ、自分が幸せになれない、それはきっと違うなと思う。
  もちろん、周りがゴキゲンで自分もゴキゲンならそれに越したことはないけれど、なんか自分が頑張りすぎて、バーンアウトするくらいなら、自分がゴキゲンでいればそれで幸せじゃないか・・それが今の感覚です。

3.死ぬ瞬間に「いい人生だった!」って心底思えたらそれが幸せな人生!
  これは、様々な先人が書いた本からいつも思っていること。私は、いろいろ失敗も多いし、人間関係が上手な器用な人間でもない。欠陥だらけの人間だけれど、この際もう~んとハードルを下げて、とにかく「産んでくれてありがとう!」って両親に感謝して死ねたらきっとそれは大成功な人生。
  私は、きっとひとり旅をしていなかったとしても、まあまあ恵まれた人生だと思っていたもんだけれど、今回、ここに来て、こんな経験が出来て本当に良かった!って心底感じています。今回の経験一つでも「いい人生だった!」って思えるんじゃないかと思う。

 人生に無駄はないというフレーズをよく見かけます。
 最近運動不足とは言え、心肺機能は十分高い私。だからこそ、アンコール遺跡のまあまあのアップダウンにも耐えることが出来ました。ジムに行きはじめてお友達もいて良かったなあ・・。ヨガを経験していて良かったなあ・・。
 私の英語、日本人アクセントがない、分かりやすい、って褒められたんだけれど、昔、英国人上司とうまくやれなかったからこそ、英語の勉強を再開した。彼に出会って、英語やり直しておいて良かったなあ・・・。
 会社で人に言わせると普通はあり得ないようなひどい経験がたくさんあったけれど、そのおかげで自然にリスクが取れるようになっていたから、台風でもここまでこれた。会社も経験できて良かったなあ・・。

 一人でいれば、振り返りの時間も、自分の感覚で何でもいい悪いを決められる。だから一人は悪くない。結局良かった悪かったって言っているような感情的な問題も、最後は決めているのは自分だもの。
 他人に、「あんたひどい目にあってかわいそう?」って言われても、そんなこと全く気にしなくたっていい。かわいそうかどうかだって、自分で決めたらいいんだから。

 そんな風に考えていると、意外に幸福は、身近なものかもしれない、そう思うようになりました。

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