シカゴでコンサートに行ってみて、感じていること3つ
もともとこのコンサートに合わせて予定を組んだ今回のシカゴ行き。いろいろあったけれど、とにかく、コンサートには入ることが出来て、しっかっり聞いてきました。日本人が時差ボケで寝てしまうという話はよく聞くけれど、私はゲームで徹夜でさらに時差ボケだったから、とてつもなく眠いということもなく聞くことが出来ました。
ちょっと不思議な感覚だったので覚えておきたいと思って書きました。
1.時間はすごく短く感じた。
今飽きの演目は、ベートーベンの皇帝、エロイカだった。いずれもとてもメジャーな曲。なんだかあっという間に終わった。
内田光子さん、おんなじところで指が回っていないなあ・・とか、でもなんといも言えない美しさのある音色だなあ・・とか感じながら。だから人気があるのかなあ・・とか。
時間が短く感じるというのは、充実している証拠と一般には言われるのだけれど、今回はちょっと違う感じ・・・・
2.湧き上がるような感動の瞬間は感じられなかった。
例えば、大阪で年末に聞いた第九の演奏会。演奏の質は、とても最高とは言えないのだけれど、この方最後まで歌えるのかしら?と思うようなご高齢の方がコーラス隊に参加されていたりして、作り上げる音楽。何とも言えない感動で涙がこぼれそうになったこと覚えています。
夏に行ったドボルザークのコンサート、何とも言えない懐かしさとやりきれなさを感じたことを覚えている。
今回は、さら~っと流れて終わってしまった。あれっ?もう終わり?って感じ。
何が違ったのかしら?
お席はアッパーバルコニーというかなり遠い席だった。前で陽気なアメリカ人たちが大騒ぎするから、なんだか取り残されたような感じがしたのかしら?さらに上の席があるから天井がかぶさるようなお席だった。お席のせいかしら?
3.クラシックの楽しみ方はお国によって違うもの
ヨーロッパでクラシックのコンサートに行くとまあまあきちんとした身なりのご婦人とエスコートする男性というのをよく見かけたものだけれど、アメリカで昨日見た聴衆は、普通にその辺を散歩するようなダウンジャケットみたいなものを着ているだけ。靴もスニーカー(私もだけどね。)フットボールや野球の応援と変わらない感じ。そして、終わった時の騒ぎ方も、ちょっと節度はあるものの同じような感じ。
日本ではなんとなくちゃんとしなくちゃいけないムードがあるけれど、本当は、それぞれの楽しみ方でいいのだと思う。
心ふるわせるような感動は、必ずしも素晴らしい演奏だけではなくて、何かプラスアルファが必要なんでしょうね。美しい演奏で充実感があっても感動はまた別のベクトル。
少なくとも、特にアメリカでコンサートに行くようなときが今後あれば、もう少し前の方で臨場感を感じられる席にトライしようと思う。