1人暮らしの問題点~将来解決できるといいなと思う3つの問題~
絶対仕事はしない!と決めて決心した今回のシンガポール旅行。でもいろいろなし崩し的になって、ゼロというわけにはいかなかったけれど、それでも随分、心のゆとりと時間のゆとりはあったりで。いろいろ思いついたことを覚書としてメモしています。
昔あった姥捨て山の話とか、老人ホームは姥捨て山だとか・・年を取った時に老人ホームに入れるくらいのお金を残しとかないと・・とか、散漫な例で恐縮ですが、何が言いたいかというと、死に際のことについて心配が多いです。私の祖父はボケてしまう前に何度も私に「おばあちゃんのことをとにかく頼む。」と言ったけれど、私が一番忙しい時期にボケてしまって、叔母が本当に苦労して、最後は施設に入って、更に病院で息を引き取った。そのお葬式で叔母が死んだ祖母そっくりに縮んでしまっているのを見て、何とも言えなかった。言葉にできないこの感覚。
自分も人に迷惑をかけずに死にたい。ボケる前に死にたい。そう思うのだけれど、狭い、暗いがきらい。そして気ままな性格。絶対老人ホームとか無理だと思う。
そういう意味では、自宅で孤独死って、実は大往生なんではないかと思う今日この頃。ちょっと警察だとかでご迷惑は掛かるとはいえ・・です。
日本はまだまだ様々な偏見があって、いろいろ難しいかもしれないけれど・・というところで本題!
一人暮らしの将来を考えて変わるといいなと思うこと3つ
1.孤独死=かわいそう、という偏見がなくなればいいな
孤独死=大往生 という理解になれば、子供の立場の人たちもずっと気楽に考えられるし、本人も死ぬギリギリまで家に暮らせるチャンスが増える。
2.一人暮らし用の行政サービスを増やす
孤独死を可能にしようとすれば、ギリギリまで家でどうにか暮らせる最低限を保証できるように。私の今の感覚では、難しくなるのが重いものの持ち運び、例えばゴミ出し、食事を作ること。ゴミのほとんど食事関連だろうから、1日1食分でいいから食事の配給とそのごみの回収とかをする仕組みを作るとか。そのサービスを年金から天引きでするとか。
地方は人口が少ないから難しいかもしれない。都会で、特に昔出来たニュータウンと言われるような、ご年配の方がたくさんお住まいの地域なら、成り立つんじゃないかなあ・・・
3.自分で自分の始末が出来なくなった時に、必要以上の医療介入をしない仕組み
自分の力でお箸なりスプーンなりを使ってものを食べれなければ、私はもういいかなって思う。そういう時に無理やり点滴で栄養を入れるとかましてや胃瘻とかいらないな。自分でトイレに行けないなら、もういいと思う。
日本の社会はまだまだこういう考え方に寛容じゃないから、医者も延命を止められない。北欧はゆりかごから墓場までと言っているけれど、日本みたいに自分で生きれなくなった人に手厚いケアはしない、ほったらかしにして死ぬのを待つという考えだそうです。私もそれでいいと思う。今、それを実行すると医者が殺人罪で訴えられる可能性があるから出来ない。そこを変えてくれないかな・・と思う。
迷惑をかけながら自分が誰かもわからなくなっても生き続けるより、そこそこで満足して死ねるような世の中に、どうすれば変えていけるのか、そういう議論がタブーでない社会になることを願ってやみません。
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