アンコールワットに行ってみて感じる文化の違いと折り合い点についての考察3つ
念願のアンコールワットに行きました。念願のと言っているけれど、カンボジアに行くなら、行ってみたいなあ・・どんなところかなあ・・・そんな感じです。
昨日書いたように、私は台風で来れないかも?って思っていたから、ツアーとか何も予約していなかった。トゥクトゥクもどうやって頼めばいいかわかんないし、外から荷物をひったくられるとか、運転手さんに滅茶滅茶ぼられるとか、危ない情報がたくさんあって、だから、まあ、Nice to Haveくらいの気持ちでいました。昨日はずぶ濡れになったエピソードはご紹介した通り。
今日は本丸のアンコールワット!実は、私はたいして期待もしていなかった。疲れるから半日で十分だけれど・・・とか、本当に、面白くない人間の私が、他人様の国の歴史や建造物の説明に耐えれるか全く頑張れるか自信がなかったから、日本語のガイドさんがいいですか?って言われても、いいよ、英語でも・・・なんて、本当にやる気のないこと。
朝ごはんに一回帰ってきてもいい、疲れたら昼からは止めてもいい(もちろん料金は同じだけれどね)、って、ホテルのスタッフのアンナさんに励まされてようやく行く気になった私。
本当に日の出の瞬間だけ見れたら充分くらいに思っていた。
それがね、アンコールワットで朝日を拝み、もう死にそうなくらい急な階段を上り下りして(ここはガイドさんが入れないから一人で)、いちばん高い建物を見て回り、次に、何ていうお寺か忘れてしまったけれど木が成長しすぎて、石造の建築物を破壊している場所に訪れて自然のすざまじさを体感し、最後にアンコールトムという場所に連れて行ってもらって、気が付けば、大体のスタンダードコースをクリアしていました。
凱旋門が昇れなかった私が、真っ暗な中、空にばらまかれたように見える星を見ながら、足元の悪い道をガイドさんだけを頼りに歩いて、ベストスポットまでたどり着き、日の出を拝んだ、そして、もう降りれる気もしないような階段があるところを昇って行って、空気感を感じて、最後の方は、これ、絶対にどっかで見た風景だっと思ったらゼルダの伝説のブレスオブザワイルドで見た風景に近いことに思い当たり、感激しました。
ここに来れてよかった!!
前置きはこのくらいにして・・・
外国と自分の国で文化が違うのは当たり前。でもね、驚いたのが安全に対する意識とか、貧しい人に支援する仕組みとか、警察のモラルとか、けっこう根幹にかかわるようなところが異なることに気付くことが出来た。そんなことを覚えておきたいと思って書くことにしました。
1.日本ではあり得ない急な階段が山ほどある。
アンコールワットはお年を召した方には絶対にお勧めできないスポットです。年間何人くらい怪我をしているのか・・・
でもきっと自己責任。ここを訪れる人たちは、たいてい経済的には強い国の人たちばかりだから、ここで何かあってもいくら強い弁護士さんが間に入ってもそもそもお金を取れない。
そういうバランスだから成り立つのか・・・
逆に、私のようなすれすれの年齢の人間にとっては忘れることのできない思い出が出来たと思います。
2.音楽を奏でている集団は地雷の被害者とか・・・政府に頼らない仕組みがある
障害を持つ人、貧乏な人に対する支援が全く行き届かないこの国では、障害を持っている人(地雷で足を飛ばされたような人とか)が民族音楽を奏でて、CDを10ドルとかで売っている。これが障害者が自活する仕組みなんだとガイドのTOMさんが教えてくれました。
私がトゥクトゥクを降りようとすれば、子供や若い人たちがTシャツやマグネットをもって群がり、「1ドル!、2ドル!」なんて叫んでくる。私はこういうことに頼るのは根本的にあまり好きじゃないから、お金を落としてこなかったけれど、必死でお金を稼いで生きていこうとしていました。
この国では政府を当てにして何かを得ようという気は全く感じられず、自分たちでどうすれば何とか出来るかを考えるしかない。そいいう状況で保たれている微妙な均衡。
日本は社会保障が整っているから、何もしなくても最低限のお金はもらえるようになっている。だから働かなくていい。でも働かなくていいというのが本当にいいことではないと思う。逆に必死で楽器を奏でる人たち、そういう役割があること自体が、本当は幸せなんじゃないかと思う。
3.お金で動く警察組織、お金を外国から集めても自分のために使ってしまう政府高官たち
ここでは車がそんなに多くはないのですが、警察の車がサイレンも鳴らさずに誘導して、場違いなスポーツカーとかが後ろについてくるとか、妙な光景に3回ほどで会いました。
今日は、なんだかお金持ちが立ち寄る予定があるんだとか。
そういう時に警察はお金持ちから袖の下をもらい、堂々と警察の公用車を使って誘導するのが当たり前なんだそうです。
私が英語を教えてもらっているフィリピンも、イマイチ発展しきれない国です。同じような状況と聞いてます。
権力を自分のために使ってしまうような文化が許容されると、やはり本当の意味での発展は望めないのかもしれません。
今日いろいろ教えてくれたTOMさんは、本当に好青年でした。一生懸命、教えてくれました。かなり知的レベルの高い、理解力の優れた若者だと感じました。次の記事で書こうと思いますが、カンボジアを誇りに思っている、愛国心にあふれた人でした。
フィリピンの先生たちも、優秀であれば大抵外国に行って働く、つまり国には留まらない、カンボジアもきっとそうだろうと感じます。
世界の人たちがまじりあうこと自体が悪いことだとは決して思わないのだけれど、あまりに腐敗した政治がまかり通るような状況は残念でなりません。それでも何が違うのかはわからないけれど、そういう状況で均衡が保たれてしまっている・・・
日本の中だけで暮らしていると思いも及ばないような、均衡状態が世界にはたくさんあるものです。そういう困難な状況の中、日本の先人たちが世界にビジネスを広げていったことに対しては、本当に頭が下がります。