人生のあらすじ
日本にいたころ
ハワイに移住した経緯
ホノルルでの生活
ノースショアの現在
プロフィール 【人生のあらすじ日本に暮らしていたとき】
簡単に書きますね。1976年大阪は東大阪生まれ。商売人の娘の長女として生まれ大阪府内やら京都、そして奈良、関西中心に引っ越し多数。ちなみに今の実家は奈良市内。私自身は大阪の堀江という街で長く一人暮らしをしていました。幼い頃は天真爛漫で、風や空とも話をしていたそうです笑。
小学校の時の夢はスタイリスト、とにかくファッションが好きで、雑誌をみてはコーディネートを考え、服をリメイクしたり、と。それは高校生になっても続き、晴れては念願のスタイリストアシスタントになりました。しかし若気の至で挫折。というのもアシスタントとしてお洋服をリースにあちこち駆け巡り、その時のショップの店員さん達が華やかなこと!きれいなメイクをして、最新の流行りの洋服を着て(当たり前ですが)それで、私は裏舞台より、も、毎日キレイに着飾る華やかな販売員になりました。この時の経験は今、顧客様との繋がりの大切さを学んだと思います。(結局のところ服もだけど、それ以上に人が好きだったのですね)しかしその頃に、趣味でしていたスノーボードへ行くときに高速道路で大事故をして、約8ヶ月入院。もちろん仕事を辞め、長時間の立ち仕事も無理になり色々とありましたが(東京に約3年弱暮らしたりとか)。そして転機がやって来ます。知り合いから声がかかり、大阪にてファッションショーをお手伝いする機会があったんですね、それでその時にヘアメイクの方のお仕事を見て、これだ!と思い、今度はヘアメイクの専門学校へ入学。思ったらそく行動な若い時、勢いが本当に良いのか悪いのか、、ありまして。そしてそこのクラスの一環の授業で習ったネイル。このネイルに今度は魅了され始めたのです。忙しい笑(かなり端折ってますので、余計に忙しく感じますが…)
当時今みたいにネイルサロンはたくさんなく、ましてやジェルネイルもまだない時代です。しかし私が運良く最初に勤めたサロンが、当時は珍しいジェルネイル専門店だったんです。まだみんなスカルプをしていた時代でしたので、流行りに敏感な女性陣でたいへん忙しく過ごしました。そこから心斎橋にお友達とシェアという形ですが、独立したんですね。これまた勢いで。しかしこれが良かった!ここからは本当にリピーター様、顧客様命ですよね。色々な人生相談、悩み事、ほんとうに沢山の方の話を聞き、そのエネルギーを共有しました。ここでのお客様は今もヒナハレイワで繋がっている方がいらっしゃいます。あと、余談ですがハワイまでネイルに来てくださった方も何人もの方がいらっしゃるんですよ!本当に有り難いことです。
この時期に人間の心理に興味を持ちたくさんの自己啓発の本をかたっぱしから読みました。そして販売の時とはまた違う顧客様との距離感も学びました。小さなビジネスでしたが、ビジネスやマーケティングも学びました。全てがこのときの経験が土台にあるように思います。ビジネススクールなどで学ぼうと思ったことはなく、全て自己流でここまでやってきました。また、他のサロンのやり方も見てみたいと思って、週1でネイルサロンのアルバイトにも行ってたんですがね、この時のオーナーさんもハワイ転職の際のビザ関係の書類で大変お世話になりました。週1勤務にも関わらず、ここのサロンで施術を担当させて頂いたお客様も数名の方がハワイにネイルで来て下さったり、今もヒナハレイワにてお付き合いがございます。出会う人は本当に必然的に出会い、導きのサポーターです。感謝しかありません。
そんなある日、これまた趣味でしたいたサーフィン(ロングボードです)の友達が、時間に融通の聞く私をハワイ旅行に誘ってくれたんですね、それが私の初ハワイでした。空港に降りた瞬間、私はここに住むかも?なんて軽く思ったのが、人生第2章の始まりです。
【ハワイに移住した経緯】
そこから、度々違うサーフ友達とハワイを訪れていました。住みたいとか考えず、ただハワイの土地に魅了され、お金を貯めては遊びに来てました。そんなこんなしてるうちに、現地在住の日本人のお友達もできて、今度は彼女を訪ね一人で来るように。その時に声を出して初めて言った言葉、今でもしっかりと覚えています。『どっかでネイリスト募集してへんかなぁ〜?』この大阪弁でのこの質問が私をハワイに導いてくれたキッカケになるとは‥。
友達はすかさず『ちょっと待って、もしかしたら聞けるとこ一つある!』というのもその友達の友達ネイリストが妊娠して仕事を辞めるからっていってた!ということで、オーナーさんをすぐに紹介してもらいました。
動くこともポイントですが、声に出すことは、これは本当に重要ですね。面接も無事にクリアし、さっそく日本に帰ってビザの申請手続きを始めました。チャンスが来た、迷っている時間なんて一ミリも無かったです。面倒な手続きも、これでハワイに住めるんだ、と思うと面倒だなんて一切思わず、全てワクワク、時にドキドキしながら書類を集めていたことを覚えています。今、同じことしろって言われたらもう嫌ですが笑。好きなことは夢中で手足が動くので不思議ですね!心斎橋でしていたサロンは共同経営者に任せ、私はお店を閉じ、堀江の一人暮らしの家の家賃もセーブしたかったので、奈良の実家に実に15年ブリに帰り生活をしました、これも今思えば親孝行だったかな?とも思いますが。
しかし、こんなにトントンと話が進んでたんですが、やはりここは大きな人生のターニングポイント。ふと、初めて初めての海外移住に不安という言葉が頭をよぎりました。英語も話せない35歳でしたから、、あはは。
そこで、人生の先輩の大好きな方のお店に足を運んだんですね、そう、ちょっと相談しようと思って。それまで一人でガンガン決めて進んできたもんで、このハワイ移住は一大事かも!?ってその時初めて気づき笑。でね、ここですよ!そのお店はカウンターだけの小料理飲み屋さんで、マスター1人でしてます。そのマスターが私が尊敬する人なんですがね、お店のドアを開けた瞬間に目に入ったマスターのTシャツのロゴ!!
GO TO HAWAII
これぞ、メッセージですよね。今はよりこのメッセージを読む力は以前よりは長けてきたように思いますが、この時は相談したい一心で、そこまで気にしてなかったんですが、運良くその時間はマスターと私だけだったので、ハワイ移住どう思うか、海外放浪長い人生の先輩に必死で相談してたんですね、じゃ彼がひとこと。「このTシャツや!これやで答えはアッハッハ!!」なんでもその時着ていたGO TO HAWAIIのTシャツ数年ぶりに思い出したかのように着たんですって!これが答えや。ハワイ行け!と。
そうなんです、今だからこそわかるんですよね、、ほんとにココぞというときって、こうして必ず上がメッセージくれてるんですよ。それに気づくか気づかないかでウンデンの差があったり。(しかし全ては愛のある選択。全ては導き。何も間違えはありません。)が!このメッセージを受け止め、私はハワイ移住に腹を括りました。
【ホノルルでの生活】
さぁ!ハワイ生活のスタートです。ビザ申請待つこと、半年くらいだったかな?無事にビザ取得して、2012年11月6日、スーツケース2個とロングボードだけ持ち父親に関空まで送ってもらってハワイへ向けて出発です!まずは大阪の時からの友達がアラモアナに住んでいたので、家が決まるまで彼女の家でお世話になりました。そこからワイキキへ初出社の時の喜びは今でもしっかりと目に焼き付いています。これから過酷なワイキキライフになるとも知らず…
すみませんめちゃめちゃながくなりそうなので、
またに続く〜