「自粛要請」と「自主勉」

 気づけばウィズコロナもはや1年である。ウィズコロナってなんだよ。改めて言及するまでもないほど、この1年で新しい言葉をたくさん聞いた。しかしやはり、「自粛要請」のおかしさには言及しておきたい。
 「自粛」を「要請」され始めた1回目の緊急事態宣言の頃から、その言葉のおかしさについてはたびたび指摘されていた。「強制ボランティア」と同じくらい矛盾している、という指摘をネットで見たけど、全くその通りだと思う。


 それに関連して、どうしても想起せずにはいられないのが、小学校時代の「自主勉」にまつわる思い出である。結局自分の話かい。自分の話です。


 小学校3年か4年のとき、自主勉ノートなるものが配られた。どういう経緯で始まったのか、学年全体の取り組みだったのかクラス独自のものだったのか、細かいことは全然覚えていない。とにかく、はじめは好きにノートを使ってよいはずだった。授業や宿題とは別に、問題を解いてもいいしまとめを作ってもいいし、とにかく自由に「自主勉」をすればよかった。ページ数も特に指定は無かった気がする。
 『ちびまる子ちゃん』とか、さくらももこのエッセイとかが大好きだった私は、そのノートに毎日日記を書いていた。その日の出来事とか考えたことを、さくらももこ風(自称)に面白おかしく、イラストも入れながら書いた。先生がコメントしてくれるのが嬉しくて、かなり一生懸命やっていた。
 数ヶ月それが続いたのち、自主勉ノートに関する取り決めができた。具体的に何だったかは思い出せないけど、1日最低何ページとか、1週間に1回は国語と算数のワークをやるとかそういう内容だった。で、日記は書いてもいいけど、教科の勉強プラスαという形にするように、ということになった。
 その真意は不明だが、やる子とやらない子、それから内容に差がありすぎて、ルールを設けるに至ったのかもしれない。当時はそこまで冷静に状況を分析できていたわけではないが、いやそれ「自主勉」じゃないやん、だったらはじめから宿題にしてくれ、と思ったのはよく覚えている。


 「勉強」というのは、漢字の書き取りや計算練習だけを指すのではない。自分にとって日記を書くことは、計算問題を解くよりもよっぽど有意義な「勉強」だった。辞書を引く習慣がついたし、何より感じたことや考えたことを言葉にする意義をその時に学んだ。教科の枠にとどまらず、それぞれが心を動かされたり、意味を感じたりしたことを出発点に、様々な方法で学びを深めていくのが「自主勉」ではないのか。そういう学びに、テストのための勉強とはまた別の価値があるからこそ、先生は「自主勉」を課したのではなかったのだろうか。
 「自主勉」やそれに類似する取り組みは、担任が変わっても、中学に上がっても時々行われていた。その度に「はたしてこれは『自主的な』勉強なのだろうか?」と絶えず疑問に思っていた。

 余談ですが、大学入試改革における「主体性評価」にも同様の違和感がある。学校で評価される「主体性」をもつ生徒が、真に「主体的」であるとは限らない。さらに余談ですが、「主体」という概念を卒論のタネにしたかったけど、「近代」の問い直しとか、ドツボにはまりそうでやめた。


 さて、全然飲みに行かない日々ですが、「はたしてこれは『自粛』なのだろうか?」と、絶えず疑問に思っているわけでは別にない。なぜなら今回の記事は、「自粛要請」という言葉をマクラに「自主勉」のエピソードを話したくなっただけだから。
 一生懸命日記を書いていた当時の私は本当にやるせない気持ちになったのです。このエピソードを吐露することで、あの時の気持ちをそろそろ成仏させてあげたい。そして私はこれからも「自主勉」に励みます。


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