ファッションの真似っこと同担拒否と歓迎のお話
わたしには推しがいます。
推しというか担当といった方がしっくりくるなぁ。
けどここで推しの人物像については割愛。
あと便宜上ここの本文では、推し・担当という言葉で進めます。あんまり万人受けする単語じゃないことは知ってるんだけど…悪しからずご了承下さい。
自問自答ファッション教室で同担拒否はされますか~?ってあきやさんに訊かれて、しどろもどろになりながら拒否はしてないけど寄っても来ないみたいなことを言った気がする。
コミュニティに入っていくのは不得意で、かといって荒れ地で推しを声高に布教したりもしてないので、まぁ同担拒否寄りの思想行動なんだろうなぁと自分では思っている。
で、思い出すのが、自分のファッションを真似したいと他者に言われたときにどう思うかって話で、わたしは例えばお気に入りのワンピースを真似されたら嫌なんです…。
ただの真っ黒で何の飾りもない吸水速乾UVカットでストレッチきく素材のワンピースで夏の間ほとんど毎日着てたんだけど、真似っこしていい?って言われたら歓迎出来ずにきっと困惑してしまう。
なぜ嫌なのかってあきやさんに訊かれたときに「自分がなくなっちゃう気がするから」とこたえていて、その場でメモするように言われて教室のプリントにばっちりメモしてあるんですけど(笑)、なんかねー、このあたり、同担拒否/歓迎の話と繋がってくるかもしれないなぁともちょっと思ったりした。
自分の中で言語化出来てて、どこが好きかが明文化されていればほかの人に真似されてもそこまで気にならないのかもしれないなぁ。好きが丸被りすると好きな気持ちしかない自分のアイデンティティー?精神の拠り所?が無くなっちゃう気がしちゃうのかなぁ。
あとファッションアイテムについてはワンピースだから嫌なのかも?、アクセとかメガネとかお気に入りのブレスなら被っても平気だし真似してもいい?って訊かれてもいいよって言うなぁ。うーん面積の問題なんだろうか…。
でもねぇ、同担他担に限らず、その推しを好きになった理由を書き連ねたり、お話してるのを読んだり聞いたりするのはとっても好きなんですよね。
それこそ個々の好きポイントなんて唯一だろうなぁって思うから。
担当になったきっかけブログとか、舞台見て誰かに転がり落ちそうになってる人のツイートとかみるとごちそう~栄養~やった~!な気分でもぐもぐいただいてしまう。それが自担だと尚更嬉しい。
(あきやさんがミケーレさんのブランドのショーにきゃあきゃあしてるのもとっても好き!)
好きになったポイントが違うから、同じもの見ても同じ感想にならないよね、と頭ではわかっていても、何かを見た時に、そういう風に感じたのかぁとか、見方が深いなぁとかわたしの解釈違ったかなぁとか、自分と違うということで心の距離を置きがちなんだよねぇ。共感性を重視しがち?だから同担といるより他担といる方が楽なのかもしれない。
ただ、わたし1人が好きでいても、商売は成立しないものでして。よく舞台運営界隈でもね、リピーターで回すより新規を1人でも連れてこいというフレーズを見るし、ね。
それを考えると同担歓迎に舵きって進めていった方がいいのかなぁとも…(でもチケット取れなくなるのも恐怖だな)(そういうのがわたしの面倒くさいところ)
教室終わって数日後に思い付いて、その割にまとまらなくて熟成させてたんだけど、思考の欠片として出しとこう…。