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受け身

 学期末課題に追われている。教職課程及び学芸員課程を履修していないため、それらを取っている人よりは課題の量が少ないはずだが、いかんせんプレッシャーに弱いためハラハラが尋常じゃない。テストに合格できるか、レポートは期限内に間に合うか。テストが期末に用意されているタイプの授業を初めて受けたのでどういった問題形式なのかわからない。もちろん問題傾向は事前告知されているけれど、経験として無い、となると余計緊張する。

 「課題」という言葉はあまり好きではない。もちろん課題という行為自体も好きではないけれども、それ以上に消極的態度にならざるを得ないのが気に食わないのだろう。期限に間に合わせるための文章。提出するための作品。提出して評価が付けられた後はただPCの隅に放置され見返されない。返却された作品は部屋の隅で埃を被り、実家の両親に引き取られる。それが嫌なのだろう私は。今までどうしても、与えられる課題に対して前のめりになれなかった。積極的になれたとしても一点に集中しすぎて他の部分が疎かになってしまったり、逆に課題にやり甲斐を見出だせず直前まで先延ばしした結果、なあなあなクオリティで終わってしまったりした。最近終了したシルクスクリーンの演習がそうならなかったのは幸いだった。そちらの反省も別で書きたいと思う。

 ここ最近、作品たちを見せる機会が何度かあった。対象は講義に来た外部の作家だったり、自分の専門と少し離れた位置にいる教授だったりした。百均で買った2L判のアルバムに、印刷した写真用紙を詰め込めるだけ詰め込む。自主制作が6割、授業作品は4割。ジャンルはイラスト、映像、デッサン、ドローイングと多岐にわたる。特に自主制作作品はイラストを中心に節操のないラインナップになっている。1年の頃から「このままではいけない」という焦燥感に押されて描いていた。単純にデッサン力が足りなかった。2年の夏休みに入った今、「技術だけでなく哲学や藝術の知識も欲しい」という考えが頭の片隅に鎮座している。と同時に技術がまだ足りないという感覚もある。両方極めたい、さてどうするか。

 それだけ。