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ゼロ富士をした話①〜成り行きと相棒の紹介〜

みなさん富士山には登ったことがあるだろうか。言わずと知れた日本一の山である。山登り好きの私だったがまだ登ったことはなく、ずっと登りたいなぁと思っていた。そしてやるなら「ゼロ富士」と決めていた。

「ゼロ富士」とはなんなのか。一般的に観光客は5号目まではバスに乗り、そこからを自分の足で歩く。しかしそんなのは甘えなのだ。海抜0メートルの場所から日本の頂、3776mの剣ヶ峰まで歩いてこそ富士山に登ったと言えるのではないか。この海抜0mから3776mまで登のがゼロ富士と呼ばれる行為だ。実は結構やる人は多く、ルート3776として道も整備されている。日本でできる縦移動の最大値。なんともロマンがあるではないか。こういうのがあると知ってしまったらやりたくなってしまう私は経験ニキとよく言われている。

諸事情により2024年の前期を休学している私は(理由についてはおいおい書こうかな)ゼロ富士やるかぁと考えていた。いつものようにジムへ行った帰りに中学時代の友達からインスタのDMがきた。「富士山登らん?」なんというタイミング、彼は山登りにはまっていて、ストーリーでいくつかの山に登っている写真は見ており、いつか一緒に登ろうなどど話していた。しかし半分ただの社交辞令だと思っていたので少し驚いた。「俺もちょうどいこうと思ってた!」と返信しながら、俺がやりたいのはゼロ富士なんよなぁ、やってくれくれるかなぁと悩もうとした矢先「やるなら海から登りたいねん」と彼から。あまりに同じことを考えていて鳥肌が立った。かくしてパートナーはあっさり見つかった。

彼は料理人としてのスキルを持ちながら先日までフィリピンで英語を学んでおり、次はオーストラリアにワーホリに行くという。中学が同じで二年生の時は同じクラスだった。どちらかというとヤンチャして先生によく怒られているようなイメージがあったが久しぶりに会うととてもしっかりしていて少し驚いてしまった。私は地元の高校には通わなっかたものの細々とつながっており、昨年は私の住む京都にも遊びに来てくれた。以下Tと呼ぶことにしよう。私が実家に帰っていたタイミングでTと作戦会議をするために地元のサイゼリアに行った。田舎に片足を突っ込んでいるようなニュータウンが私の故郷だ。中学校区にファミレスはこのサイゼだけだ。このサイゼはTとの思い出のサイゼである。中学2年の時私は生徒会長に立候補した。中学の選挙など人気投票なのでサッカー部で先輩も後輩もいっぱいいていわゆる陽キャだったTと陸上部で同じだったSに応援演説を頼んだ。応援演説の原稿を彼らが全然書いてくれないので一緒に書こうということになり集まったのがこのサイゼだった。結局私が自分で自分の応援の原稿を書いたのだがとても恥ずかしかった記憶がある。(ちゃんと生徒会長にはなれた)そんなことを思い出しながら少し遅れて店に入るとあの時と同じ場所にTは座っており「ここやったやろ、懐かしいな」と言ってきた。なんて粋な奴。と感動してしまった。そこで計画をたて、行程を提出すると後日リストバンドとザックにはるルート3776に挑戦していることを示すゼッケンが家に送られてきた。(無料で送られてきて富士市すげえなと思った)

こういうの


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