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大きすぎる壁と孤立感

不安だったけど

妊娠中に
旦那さんと別居する決断をした事は、
後悔しなかった。

私の実家からは遠い場所に
家を購入して、10年近く経っていて

幸い旦那さんの実家が
近かったこともあったので、実家に帰ってもらった。


冷たい空気が
流れる環境の中で
普通に過ごせる自信もなかったし、
何より子ども達への悪影響が、一番怖かった。

でも、やっぱり

お腹が大きくなればなる程、
不安はかなり大きくなり

長女の前で堪えきれず
号泣してしまった事もあった(;_;)


その時は、
黙ってよしよししてくれた娘。

後々その時の事を覚えてるか聞いたら、
あんまり覚えてないらしい。笑


そんなだったけど、
近くに両親もいないし
何かあっても自分でやっていかなあかん。


子ども達の為に
気持ちを奮い立たせて、何とか妊娠期間を乗り越えた。

38歳での出産やし、
産んでからが体力勝負やなーー
と、漠然とした不安感もありつつ
やっぱり我が子にやっと会えるのは楽しみだった。

…まさか、
産後にドタバタが起こるなんて
一切、頭になかったけど。

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娘が搬送された先のNICUで

やっと娘に再会した後に
すごく浮腫んでパンパンになってるお顔を見て


(ほんとにこの子は私が産んだ子なのか…?)
と、複雑な感情になった。


そして、
お医者さんからは

『 お顔の様子から見て、
     ダウン症を持ってる疑いがあります。』

…と、淡々と伝えられ
頭はまっしろ


[ あ、でも最初に感じた違和感は
       それやったんか… ]


産後すぐ、
最初にご対面した時に
上の子達とは何かが違うって感じた
何か、よーわからん違和感があったのです。


お顔の感じが、
よく言う『 ガッツ石松さん 』とも、また違って。
うまく言葉にできないけど。


更に、お尻の穴があいてないとか
びっくりしすぎて
もうなんか言葉も出てこなくて


あれよあれよと
小児科の先生とか、搬送先の先生とか
ドタバタわちゃわちゃしてきて


あっという間に
娘と離れ離れになって、
その後は4人部屋にひとりポツンと入院…。

『 私、ほんまに子ども産んだんかな。。』


なんか、
夢でも見てたかのような時間だったけど


後陣痛が痛すぎて、
ほんまに出産したんやな私、笑
と、現実に戻されてました( ˊᵕˋ ;)

( 耐えきれず痛み止めをもらって一安心。)


まさか我が子が、
ダウン症をお土産に持って産まれてくるなんて。


障がいを持ってたら
普通の子育てできないんじゃないか
何か特別な事をしていく事になるんじゃないか


何か…よくわからんけど
無知すぎて、不安ばかり増えていった。


急に湧き出てきた孤立感


壁が大きすぎる。
でも、やっていくしかない。
子ども達の為に。もうこの気持ちだけで何とか…
何とか。


この子が1人目だったら、
また気持ちは違ったかもしれない。

そんな事
今はもう考えたくもないけど。


鎖肛の手術をしてもらった病院で、
同じ境遇のママさん達との
交流の場を紹介してもらったおかげで

孤立感は、少しずつ解消されていった。
本当にありがたかった。


そこの場所で、
シングルママさんとも出会い

これから離婚するにあたっての、
リアルに進めていかなくちゃいけない
色んな情報を教えてくれるかなり心強い仲間ができて

目の前が
少しずつ明るくなっていった。


辛い事に
ひとりで向き合うのは、本当に辛すぎる。

人のあったかさを
体中に染み渡るぐらい感じて、

世の中って
思ってたより優しさに溢れてるって、
心から感じる事ができた貴重な経験でした。


あたりまえって思ってた事も
決してあたりまえなんかじゃなくて、
些細な事でもありがたい。

この気持ちは忘れたくないと
心に誓った時期でした。



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