27歳、死ぬわけにはいかない
偉大なロックンローラーは27で死ぬ
そんな伝説には、27clubという名前がついていて、たぶん今でも多くの人を魅了している。
この存在に出会ったのがいつだったのかは忘れてしまったが、27歳がとてつもなく、ずっとずっと先であると感じたことは覚えている。
自分も、27歳で死ぬようなロックンロールな生き方ができるのだろうか?
そしてもしもなににもなれず、なにも成し遂げられず、28歳になってしまったら絶望してしまうのではないか?
そういうきもちを抱えたまま、自分を表現することに必死で過ごしていた。自分のどうにもならない気持ちをどうにか形にして、それでもしも、もしも誰かが明日を生きる理由にしてくれたらいいなという祈りが心の中に育っていった。
ずっとずっと先だと思っていた27歳。
たぶん毎日「死んでもいいな」と思って過ごすんだろうな、と思っていた27歳。どんな気持ちで迎えるのかがわからなかったから、去年の今頃は28歳に”なってしまった”人たちの話を書いた。
これを書き終わって、まあ28歳になるのも悪くないな、と思ったし、泣きながら28歳を迎えている自分の姿もぼんやり見えてきた。
どんな気持ちで、27歳を迎えるのだろう、と多分自分が一番ワクワクドキドキしていた。
あと数時間で27歳になる。
死んでる場合じゃない。
体の変化に心がついていかず、希死念慮が強すぎてしんどいので婦人科を予約した。9月に個展を予定し、11月のデザフェスに申し込み(明日当落発表!)、12月の文フリはもうブースを確定している。何をいくらでどのくらい売りたいか考えている。どのくらい売りたいか考えているということは資金が欲しいということであり、それはこれからも続けていくということを意味している。
それになにより、ほんの少しだけれど、ぼくらの創作を待っている人がいる。
書きたいことはいっぱいある。
見たい景色がいっぱいある。
超えたい壁がいっぱいある。
解除したい人生の実績がいっぱいある。
食べてみたいものもいっぱいある。
いってみたいところもいっぱいある。
もう一度会いたい人もいっぱいいる。
まだ会ったことのない人にもいっぱい会いたい。
サクラナイツの優勝はもう一回、いや何度でも見たい。
九連宝灯を和了してみたい。
愛のことばを口にしてみたい。
ワニ園に行ってワニを一日中眺めていたい。
流しそうめんをやってみたい。
岡田准一が取り組んでいるネットフリックス作品が見たい。
過去のコナン作品を片っ端から見たい。
積読は全部消化したい。
まだ聞いたことのない音楽に、
まだ読んだことのない言葉に、
まだ触ったことのないもふもふに、
もっともっと出会いたい。
そして命を肯定しつづけたい。
雨の夜にプラットフォームから見た線路が川みたいにキラキラ輝いて見えた。そのくらい死にたい気持ちに押しつぶされそうだけれど、きっとこれはホルモンのいたずらなのだと理性でわかるくらいには、たぶん今は生きたいのだと思う。
28歳から先の人生は少しも想像つかないんだけど、
27歳、死ぬわけにはいかない。
今まで出会った全ての人へ、ありがとう〜!
さて、きっかり1年後にぼくはどんなことを思って、どんなことを、どこで、どういう言葉で書くのだろうね。