この国では、夜はずっと暗い
夏とおなじくらいの気温だというのに、18時をすぎると立派に暗い。いくらあたたかくても、あつくても、冬は確実にやってきているということだ。
怖い。
生きているだけで取り込める太陽のエネルギーが減っていって、気づいたらうつっぽくなっている。朝起きられなくなって、意味もなく涙が流れるようになって、夜に怯え、寒さに怯える冬が来る。
などと思っている中、庭園美術館の展示に行ってきた。
年に一度の建物公開、今年のテーマは「照明」だった。
お恥ずかしながら存在を全く知らなかったのだが、照明ということでかなり気になる。
そもそもたてものが好きなので、その後の予定に響くギリギリまで堪能した。
建物も、照明器具も、家具もなにもかも細部までうつくしくこだわられていて、本当に見応えがあった。
そしてふと思った。
夜は、昔から暗かったのだ。
移動ができるようになった。通信が発達した。世界がぐっと小さくなった。
環境は破壊されて、秋まで暑くなった。
人が人を傷つけるようになって、人が人を傷つけることを見て見ぬ振りするようになった。
言葉も着るものもかわった。
楽しみも、うつくしいとされることもかわった。
それでも夜はずっと暗かった。だから人は照明を作って、すこしでも明るい時間を引き伸ばそうとした。
夜の数だけ、夜を乗り越えてきているということだ。
ぼくにとって夜は自分らしくいられる時間だから好きだ。
何かを書いたり、表現したりするのは夜のほうがいい。
けれど、夜のことを愛しているのと同じくらい、夜のことが嫌いだ。太陽のパワーをくれないから。
静かで、さみしくて、怖いから。
ひとりでいきているような気がしてしまうから。
いまこの世の中があるということは、先人たちが夜を乗り越えてきてくれたからだということが、この灯りたちに刻まれているような気がした。
だからぼくも、だいじょうぶでありたいと思う。
冬の足跡が背中まで迫ってきた。
振り返ればすぐそこにいる。
でもさむい冬も、暗い夜も、乗り越えてきた人がいるのだから、
ぼくもだいじょうぶでありたい。
元気だったー!と春が迎えられますように。
(すでにあやしい)