The Whoopsというバンド
いつだっただろうか、初めてThe Whoopsを見たのは
たくさんWhoopsの思い出はあるけれど、一つはアメリカ留学中に、美しい夕日の中、広いキャンパスを歩きながら「衛星」という曲を聞いていて、とてつもなく日本に帰りたくなったことだ。
多分その「匂い」は日本にしかない。
じんわり思い出してきたけれど、初めての接触は、北浦和キャラがまだ浦和橋の近くにあった頃に、週一回開催されていた「KYARA BAR」で宮田さんと喋ったことだったと思う。あの頃私は高校1年生で、宮田さんは大学生だった、多分、三年生だった。
すごくお兄さんだった。
だけど今、私はその頃の宮田さんの年を追い越した。
KYARAばかりに行っていた私を都内のライブハウスに連れ出したのもWhoopsだった。マーブルに見に行った。「復縁した元カノとオーロラを見に行ったお土産」と言ってチョコをくれたのを覚えている。
高校2年生のころ、北浦和キャラでイベントを主催した。
川越ではよくあったのだけれども、北浦和では高校生のイベントに「社会人バンド」が出ることがなかった。
The Whoopsを呼びたい、そんなことを「面白い」と言ってくれた店長と、快く出演してくれたThe Whoopsには感謝の気持ちしかないし、私はそういう土地で育ったんだな、と思う。
実は「湘南新宿ラインのテーマ」のMVに出てくるライブハウスのシーンはそのイベントの時に撮られたものだった。高校生ノリいいからね。笑 全部がそうかは知らない。
その冬、私は軽くうつ病になって学校に行けなくなった。
それでも結構ライブハウスには通っていて、年始にピストルディスコのイベントに先輩と行った気がする。そこで「新曲です」といって演奏されたのが「衛星」だった。
さむいのがこわくって、夜がこわくって、音楽すらも満足に聴けなくて、制服をきて電車に乗って学校に行くのが精一杯だった。多分終わってから話もしたんだけど、何を話したかは全然覚えていない。
数ヶ月後またLUSHかなんかで見て(しかもthe quiet roomとかと対バンしてた気がする)、その時に「実は学校行けてなくて〜」みたいな話をした気がする。
それからもしばらく行っていたけど、留学を機にライブハウス自体から離れてしまう。
久しぶりに見たのは、あのメンバー加入ワンマンだ。
私は制服を脱いだし、耳にはピアスの穴が空いていた。
宮田さんの左手の薬指には指輪がついていた。
なんか催眠術師がメンバーに加入して、脱退していた。
ちなみに私は催眠術にはかからなかった。
時が経った。
でもWhoopsの音楽はいい意味で変わらなかった。変わらず私は大好きだった。
久しぶりにあった宮田さんは、やっぱり私のお兄ちゃんだった。
いつか恋人ができたら報告しようって、7年前から決めているんだ。
まだできそうにないけど、したい話はたくさんありそうです。
まあそんな、親戚より親戚みたいなThe Whoopsが死にゆく北浦和kYARAでワンマンライブをする。
おともだちの力を借りてチケットをゲットしたのはいいが、私は熱を出した。ちなみに今は元気である。文章書いてるからね、しかもエモいやつ。
なんか、そういう縁なのかな、なんて悔しい気持ちで
北浦和KYARAの終焉を見つめている、歩いて10分のところから。