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想い出は「共有」するからこそ輝く
フリーライター&イラストレーターの陽菜ひよ子です。
本日は個人的な駄文です。お暇な方だけお読みください。
このnoteにはしつこいほど書いていますが、わたしは30代半ばで離婚しました。そこで一度人生をリセットしたせいか、30代までとそれ以降とでは、まるで自分が「別の人間」のように感じます。
でもたまに過去の想い出がよみがえって、「ああ確かにあれも、自分の人生に起きたできごとだった」と実感するのです。
積み重ねがすべてを終わらせる
そんなわけで想い出話。
元夫は人混みが苦手で、都心に出ると決まって不機嫌になり、どこかへ行方をくらましたりしました。いや人混みに限らず、出かけると9割方不機嫌になるので、出かけて楽しかった想い出があまりないのです。
わたしはよく「やりたいことがあったから離婚した」と書いていますが、いやいや実は、こういう「小さな不満の積み重ね」が、離婚の理由なのです。
元夫とは千葉県F市に住んでいたので、車でよく房総半島に向かいました。彼と一緒に都心に出ることはもはやあきらめていたので、行き先はもっぱら千葉の田舎、つまり房総半島。
ちなみに、千葉に住んだ8年の間、彼は毎日都内港区に通勤していましたが、わたしと都内で会ったことは数回しかありません。こう書いていても、なんかすごい話ですね。
彼との数少ない「よい想い出」が、何度か通った房総半島のお寿司屋さん。
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絵を描いたのは2020年ですが、実際に足を運んだのは20年も前。でも最近この絵をXにあげたら、茂八寿司さんからフォローされました。「ああ、まだ営業されていたのね。コロナでも持ちこたえたのね」と一安心。
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この瞬間、過去と現在の自分の人生が交差します。
大切なのはただ「楽しく過ごす」こと
わたしは贅沢を望んだつもりはなかったのです。「普通に出かけて、ただ楽しく過ごせる人」と暮らしたい、ただそれだけ。
そういった意味では、再婚におけるわたしのハードルは、そんなに高くはありませんでした。
今のオットとは、ワンコインで食べられる定食屋でも楽しく過ごせます。この人となら、雨でも嵐でも、たとえスーパーの買い物だって楽しい。そう思えたことが再婚に踏み切った理由のひとつ。
元夫にも言い分はあったでしょう。少しでも良い生活をするために仕事を頑張った結果、いつも疲れていたから不機嫌になったのかもしれません。それを責めたわたしのほうが酷だったともいえます。
でもほとんどの人は、贅沢なんて望んでない、家族の時間を大切にしたい、そう思うのではないでしょうか。
想い出は「共有」することで輝く
名古屋在住の今は遠くなってしまった房総のお寿司屋さん。今のオットと行ける日はいつか来るのでしょうか。来るかもしれないし、来ないかもしれない。
そんなのどっちでもいい。消し去りたいほど嫌な想い出じゃなく、それどころか楽しかった想い出。想い出は無理に上書きしなくていい、とは思うのです。
でもときどき、楽しかった想い出をオットと共有できないことが寂しくて。想い出をすべて、オットとともにやり直したい衝動に、どうしてもかられてしまいます。
だって、想い出は共有するからこそ輝くから。
なんて記事を書いていたら、こんな記事を友人がSNSに投稿していて、納得!
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