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「いつか」なんて日は来ない

気に入って買ったものを、使って使って使い倒す人と、後生大事にしまい込んで使えない人がいる。私は明らかに後者だ。

ドのつく貧乏性なのだ。

10年以上前に買った、白地に小花の刺繡が入り、ふんわりとレースが重なった繊細なデザインのスカート。いやもはやスカートというよりバレエのお衣装のような儚さ。

着たら最後、汚すか破くかして後悔しそうで、着ないまま月日だけが過ぎた。

大切にしまい込んだスカートは何も変わらない。変わったのは私だ。

心も体も丸くなり、繊細さとは程遠いシルエットの自分がここにいる。


着倒した洋服の末路は潔い

若いころはアホみたいに、お給料のほとんどを洋服につぎ込んでいた。昔好きだった服のことは、今もよく思い出す。

あの好きだった服たちは、いつの間にどこかに行ってしまったのだろう。


20歳から24歳くらいまでよく着ていたワンピース。これは21歳のとき。

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あんなに大好きだったのに
20代後半になったら「もうこれは着てはいけない服だ」と感じた。

もうぶっちゃけ、顔に合わなくなるのだ。
こんなバスケットも、子ども連れでもない30代女子が持ってたら痛々しいでしょ。

でもこの服はもうそれこそ「着倒す」という言葉にふさわしいほど、着た。だから捨てるときにも一切の後悔はなかった。

そんな風にいつの間にか着なくなった服たちは、静かに葬られて行った。けれど、どうしても葬れない服もある。未練が多すぎて。

だって一回も着てないんだもん。


後悔なく捨てることができた服は、そんなに高価な服じゃなかったから、思いっきり着倒すことができたのだ。

「大切さ」と「使用頻度」が全く反比例する私のような女は、高いものは買ってはいけないのだ、としみじみ思う。


「いつか」なんて日は、待たない


話は飛ぶが、20代から30代にかけて、洋食器の絵付けを習っていたこともあって、ウチにはマイセンやジノリなどの高級白磁がある。

いつか終の棲家に住んで、人を招くようになったら出そうと大事にしまい込んでいたが、不意に思い立って、全部の食器を出した。というか、出そうとして挫折した。

なんと食器類、2人分じゃなくて、フルセット(6人分)あるんだもん。こんなん夫婦2人でどーやって使うの?


そんなわけで、4人分はクローゼットにしまい込み、使い始めた2人セット。


マイセンらしい優美なデザインの白磁「ホワイトレリーフ」

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もういくらするか自分でも忘れてて、公式サイト見てびっくり!


マイセンやジノリと一緒に、自分で描いた食器類も解禁。

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オットは使うの緊張するというし、私のすることに一切興味のなかった母親でも「これはもったいないから大事にしまっときなさい」というほどだったけれど。

「使わないでしまい込んで、何になるのだ?」


この春やりたいこと

この春は、ずっと着られずにいた、とっておきの服を着て出かけよう。
大事に取っておけば着られなくなることはないけれど、それでも服には賞味期限がある。人としてステージが変われば、やがて似合わなくなる。

せっかくなら少しでも自分に似合ううちに、着てあげたいではないか。

出かけるのが難しい時期には、美しい服を着て、美しい食器でホームパーティーをしよう。

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「いつか来るとっておきの日」のために、大事なものを取っておくなんて無駄なこと。

「いつか」なんて日は来ないから。

ダメになっても惜しくないくらい、着て着て着倒して、使って使って使い倒そう。

それがこの春の目標。


2021/4/12追記。

たくさんの方に読んでいただいたようで、ありがとうございます!

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陽菜ひよ子 / インタビューライター&イラストレーター
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