それら全部ひっくるめて、大人の事情
イラストレーター・取材&コラム二スト&「まちづくりジャーナリスト」の陽菜ひよ子です。
「女性に年を聞くのは失礼」という話から、持論を展開されている、ある方(仮にAさんとする)のコラムが興味深くて、なんかちょっと書いてみようと思った3月。
ほぼ書き上げたのだけど、記事を寝かせすぎて3ヶ月が過ぎ、該当記事が有料になってしまった。なので、元記事は引用せずに公開したいと思う。
とはいえ、たぶん書いたご本人Aさんは自分の記事のことだと気づくと思うので、最初に断っておくと、反論する意図で書くわけではないという事。それだけ、ご理解いただけたらと思う。
Aさんも最初に書いておられるが、わたしもやはり、自分が正しいとか「絶対こうだ」と言いたいわけではなく、こういう考えの人間もいるのね、くらいに捉えてもらえるとうれしい。
なぜ女性に年齢を聞いてはいけないのか
まず年齢について。
最初に自分の考えを述べると、わたしはそこそこいい年の女性だけど、別に年齢を聞かれても平気だし、自分も割と尋ねてしまう。
何で女性に年齢を聞いたら失礼なのか?というのは正直、理解できない。ここはAさんと同じ考えだ。ジェンダー云々言いながら、そういうとこだけ「女性だから」と、うやむやにしようというのは、なんかズルくないか?
わたしはむしろ、年齢を聞いて欲しいとすら思う。
なぜかといえば、初対面で、ある種の女性から敵意を持たれることがすごく多いんである。自分で言うのもなんだけど、自由業のせいか年齢不詳で、華やかな世界で楽しく生きているように見えるらしいのだ。
その女性たちから見ると「若い女が生意気な」と感じるようで。でも年齢を聞くと「あら、同世代なのね」「意外と行ってるのね」と急に親近感を持ってくれることが多い。
すでに恋愛市場からは完全にフェードアウトしている身。オバサン扱いされることなんて、どうってことはない。年を隠して無駄に敵を増やすことに比べればノーダメージなのだ。
名刺の裏に出身地を書く理由
次に、バーで出会った初対面で出身地の話をするのは不毛だ、という話。大変恐縮だが、ここには異議を申し上げたい。
初対面で出身地の話をすることについては、これはもう「無難な話題」そして「会話の潤滑油」「大人の知恵」なのだ。
余談だけど、この世界に入ってわたしが最初に「師」と呼んだ人物は「名刺に必ず出身地を書け」と言っていた。
その言葉を聞いて15年以上経った今も、わたしは頑なにその教えを守っている。なぜかと言えば、それは正しいと実感しているから。
わたしは名刺の裏に「愛知県清須市生まれ」と書いている。
実際に清須に住んでいたのは3歳までな上、当時の地名は清須ではなかったのだけど、まぁそこは大きな問題ではない(ということにしておこう)。
歴史ブームな昨今、ご存じの人も多いだろうけれど、清須といえば織田信長の居城があった場所。鳥山明先生が居住していることでも有名だし、かつての地名・西春日井郡でいえば、イチローの出身地とも重なる。
わたしが生まれた場所は、たぐいまれなレジェンド輩出地で、話題には事欠かないのだ。
一応言っておくと、わたしは特別郷土愛が深い人間ではない。「ナゴヤ愛」という本を書いているので、ものすごくナゴヤが好きな人なのだと誤解されがちだけど、この本は「わたしがナゴヤを好き」だという本ではなく、「ナゴヤ愛にあふれた人々」に興味を惹かれて取材した本なのだ。
出身地ほどの万能選手はない説
出身地にすごい名所や名物がなくても、本人に郷土愛がなくても「出身地」の話題は「無難」だ。同郷であれば親近感がわくのはもちろん、そうでない場合も、会話がスムーズに進みやすい。
相手の出身地をけなす人はまずいない。特別地元が好きじゃなくても、自分の地元をほめられて悪い気のする人はいないのではないか。
「ナゴヤ行ったことないんです。行くとしたらどこがオススメですか?」
「ナゴヤ行ったことあります。ひつまぶし、おいしかったです」
行ったことがあってもなくても、それなりに話題を広げられる。ただ、ナゴヤ人の中には「ナゴヤにいいとこなんかない」と思い込んでいる人も多いので、上の質問には「オススメなんかない」と答えが返る確率は高い。
それでも、大抵は続けて「ナゴヤより岐阜や三重に行った方がいいよ」と、飛騨高山や伊勢志摩のオススメの場所を教えてくれる。だからやっぱり会話には困らないのだ。
もちろん、何か事情があって「故郷の話をしたくない人」もまれにいるかもしれない。けれど相当数の人と名刺交換してきたわたしでも、未だお会いしたことがない。
誰もが興味を持つ話題なんてない
Aさんの「それよりおいしいラーメン屋情報について情報交換する方が有意義だ」という意見も、気持ちはわかる。どうでもいい話題で時間をつぶすくらいなら、有益な話をしたいというのは至極合理的でまっとうな考えだからだ。
でももし、わたしがAさんに「この◎◎ってラーメン屋さんおいしいですよ。ひよ子さんのオススメは?」と聞かれたら、すごく困ってしまう。
(これね、普段はあまり言わないようにしてるのだ。だって世の中で少数派だから。でも思い切って言う)
わたしは、ラーメンがそれほど好きじゃないのだ。唯一好きなのはスガキヤ(ナゴヤのソウルフードと呼ばれるラーメンチェーン)だけ。
嫌いじゃない。でも、好きでもないから選ばない。いつも行くフードコートではみんなラーメン美味しそうに食べてるけど。ラーメンをすする人々を横目で見ながら海鮮丼やうどんを食べている帽子かぶった夫婦がいたら、それは間違いなく我々だ。
「それはモノのたとえで、絶対にラーメンの話がしたいわけじゃないです」と言われるかもしれない。でも、わたしがラーメンを好きかどうかなんて、見た目じゃわからない。だったら話振っちゃうよね。
実際、おいしい店を尋ねると、かなりの確率でラーメンを薦められるのだ。なので最初から「海鮮が食べたい」などと限定して尋ねるようにしている。
ラーメンを好きな人は多数派だけど、誰もが好きなわけではない。誰もが興味を持つ話題なんてものはないのだ。
話を振ったものの、相手が全然その話に興味がないと、場は凍り付く。
空気を凍り付かせながら、ピッタリ合う話題が見つかるまで、質問を重ねる時間は不毛ではないのだろうか。
なぜその人はあなたに出身地を聞くのか?
とはいえ、プライベートで入ったバーで無難な会話をしたくない、という気持ちはよくわかる。自分の嗜好ど真ん中の話題を振って会話が凍ったとしても「自分とは違う人」だなってことで、フェードアウトでも何の問題もない。
出身地の話題が有効なのは、ビジネスの場だからともいえる。できればこの人との関係を悪くしたくない、と思うからこそ、少しずつ相手を知って行こうと思える。
相手のまったく興味のない話を振って、その場の空気が凍るくらいなら、まずは無難な話から始めて、外堀を埋めつつ、相手の嗜好を探っていくのが、大人の知恵。
そこから生み出されたのが「出身地を聞く」ということなのだろう。
わたしの名刺を見て、歴史好きは「織田信長」を話題に選び、サブカル好きは「鳥山明」、スポーツ好きは「イチロー」に話題を振る。もうそこで、大体相手の嗜好はつかめるのだ。
表には名古屋めしが描かれているので「手羽先好きなんですよ、新宿の山ちゃんによく行きます」「最近あんバターが話題ですが、ナゴヤだと小倉トーストって言うんですよ」などなど、会話のとっかかりは無限大だ。
言ってみれば、出身地を聞くということは「あなたと仲良くなりたい」「じっくりとあなたを知っていきたい」という意思表示の表れなのだ。
だとしたら、無駄に感じられても、ちょっとだけ付き合ってあげて欲しいな、などと思うのは、わたしがもうオバサンだからなのだろうか。