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就活なんかで心を殺すなinfp!
タイトルは自分への戒め。
企業の最終選考を前に喘息が悪化するという最悪な状況で、この年の瀬に病院に来て順番を待っています。
なんだか、あっという間に大学3回生の冬になってしまった。この一年を振り返ると、私の中であらゆる情報や価値観が錯綜し、私の問題点をとことん突つかれるような1年だったような気がする。
これまでの私といえば、音楽や芸術など抽象的なものが好きで自分の内面に話しかけては満足しているような理想主義な人間だった。友人には私に似たのんびりとした子も多いので、そんな自分を疑うタイミングもあまりなくのほほんと生きてこられたのだった。
しかし今年はとうとう就職活動という荒波に放り込まれてしまい、その波になんとか乗ろうともがいていても、どうしても自分の認識の甘さというものが突きつけられる瞬間が増えた。そして自分自身の価値観に疑いの目を向けざるを得なくなったのだった。
薄々気づいてはいたけれど、私のように興味の幅が狭くて外界に対する解像度が低い性格にとって就職活動の道はなかなかに厳しい。当然ながら企業は利益を生み出す場所で、利益を生み出す人間を演出しなければそこで生き残ってはいけない。優しい正直者が勝ち進めるような場所ではないのだ。
ただでさえ就活には体力と気力が必要な上、些細なことで傷つきすぐに自分の世界に籠りたがる私の中の私をなんとかなだめて、外界に引き摺り出し続けて現実を見せるみたいな作業が私には必要になってくる。これがとても苦しい。私の中には愛しく優しい世界があるのだから、できれば下界になんて降ろさないでくれ。
でもそんな甘えは通用しないのがこれからで、一歩社会に出ようとすると私は特別な存在でもなんでもなく、ただの現実を見られていない就活生の一人であるというのが紛れもない現実だった。
高校生の時に憧れたキラキラした世界は、大好きな表現者たちが世界の美点を切り取って作り出していた理想郷であって、実際の日々は美しい描写で溢れてなどいない。私が好きな音楽や芸術だって否応なく社会の仕組みに組み込まれていて、逃げ場所なんてあるようでないんだ。もう私にあの頃のような夢を見させてくれるものはない。
言わずもがな私は昔から人よりも不器用なところが多くて、それは多分この先も人に迷惑をかけ私を苦しめると思う。そんな時って、すごく辛くて悲しくて惨め。
こればかりはもうどうしようもないけれど、こんな私だって、何も考えずにふわふわと生きてきたわけではないのだ。他の人よりも数多く経験してきた「うまくいかなさ」が私の強さの根源にもなっていると信じてる。
病院の待合で座っているとお隣の叔母様が話しかけてくれて、「どんな仕事も大変だけど、最後は人が大切よね。自信持って頑張ってね。」と声をかけてくださった。優しさって本当に希望だ。
それなりに気合を入れて望んだ最終選考は、社長の反応があまりにも渋過かったから絶対落ちたと思う。たった数分間話しただけで私の何がわかるんだよと思ってしまうけど、ただただこれが、就職活動の現実なんだ。
でも、まだただ私は若い。自分に限りがあるように見えたとしても、私なりの理想を持ちながら来年からも必死に抗おうと思う。
しなやかで美しい大人になるって決めている。
自分の価値を決められるのは自分だけなんだから。