【実録】今更プロセカのストーリーを読んだら東雲絵名に情緒を完全に破壊されて体調を崩した話 その後
このnoteには、『25時、ナイトコードで。』の最新イベントのネタバレを含みます。
Q.『おい お前 そっちはどうだい?
ああ まだ そんなこと(執筆)やってんだ』
A.はい!!!!!!!!!!!!
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私は以前、東雲絵名とか言う女に情緒を破壊されて3日ほど胃腸を壊したことがある。
これがほぼ1年前というのが恐るべき事実であり過ぎ去る時間に困惑を隠せない中、奴と私が近々誕生日を迎えるこの時期に、なんとひっさびさの東雲絵名バナーイベントが始まってしまった。
約1年ぶりのバナーということもあり予告が公開された瞬間、私は即座に戦闘態勢に入った。
……まぁ、正直これに関しては杞憂だった。
と言うのも、前のnoteでガッツリ触れたが絵名が抱えていた大きな問題のひとつである『絵を描くこと』という行為自体に対する考え方とか向き合い方については殆ど解決したと言っていい。
これもスパダリである我らが奏さんと、仏の生まれ変わり説が濃厚な雪平先生のおかげだと言っても過言では無い。
実際問題、今回のストーリーで私が受けたダメージもそこまで大きなものではなかった(ないとは言ってない)
じゃあどうして今回またnoteを書こうと思ったのか?また体調を崩したいのかとか、記憶を掘り起こす過程で苦しい思いをしたいのか?と思われる人もいるかもしれない。
では何故か。
答えは簡単で
『何かを作った経験があり、その過程で苦しんだことがある人』その全てに読んで欲しい話だったから。
ただのそれだけである。つまるところダイレクトマーケティングってワケ。
というわけで、前回の私のnoteもしくはニーゴのストーリーを追いかけている前提かつ、クリエイターの端くれである私の意見も織り交ぜながら紹介するので、悪しからず。
『Knowing the Unsenn』ってどんな話?
絵名が課外授業として向かった先は、天才画家と称される彼女の父親の個展だった。最初こそ気乗りしなかったものの、リンとレンに背中を押され、聖人君子である雪平先生と共に父親の個展にやって来たのだ。
そこで絵名は、設営のお手伝いスタッフとして協力しながら、父親の描いた絵と文字通り向き合う事となる。
絵名が気乗りしなかった理由は父親と関わることの気まずさだけではなく、単純に技量の差を思い知らされてしまうという後ろめたさにあった。
当日の朝は憂鬱な気持ちで始まり、設営中に否応なく目に入ってきた父親の作品を見て『自分には才能がないんだ』ということを改めて実感してしまい、不安に苛まれてしまう。
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実際こういうことは多々ある(経験談)
例えばpixivで小説を読んでいる時や買ったラノベを読んでいる時などに、『俺とお前で…何が違った…!?』とG5 イグアスの如く嫉妬に狂うことは日常茶飯事である。もっと伸びてくんねぇかな私の話も。
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そんな中、雪平先生から『絵に何が描かれているのか感じ取りなさい』(意訳)とアドバイスを受ける絵名。
悩みながらも流石は我らのえななんと言ったところか、師の言葉と自分の気持ちを正面から受け止め、父親の絵と向き合う決断を固めたのである。
途中、妙に筆使いの荒い絵に、過去の自分が描いたものに似た何かを感じた絵名は、同行していたレンの一言にある疑念を思い浮かべていた──────────
オイ!!!!!この話は禁止つったよな!?!?!?
9割治ってた人の傷口に指突っ込んでほじくり返してんじゃないよ!!!!!!
本当、急に刺しに来るのはやめてほしい。このイベント唯一の大ダメージである。
~COOL DOWN~
さっきよりも確かな思いで、父親の絵から『何か』を感じ取ろうとする絵名。
拙いながらに雪平先生に感じたことを伝えた結果、『天才画家』であるはずの父親に誰からも評価されていない時期があったこと、その中で絵名が生まれたこと。
そしてとある作品を最後に、画家の道を諦めようとしていたことを教えられる。……しかし彼は、画家を辞められなかった。
改めて父親の絵と向き合いながら今までのやりとりを反芻しつつも、絵名の中では未だに疑問が渦巻いていた。
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絵名の気持ちもわかる。否定するわけじゃないが、大きな成功体験をしている人が『いや昔は全然そんなことなくて~』とか言ってきても正直ピンとこないんだよね。
何故かと言うと言われた側は『今』の話に必死なため、過去の話なんて知ったこっちゃないからである。苦労してきた当人には申し訳ないが、こればっかりはどうしようも無い。
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だがここで、過去に父から言われた言葉が脳を過ぎる。
仮にそれが本当だったなら、どれだけの思いで作品を描いていたのだろう。
どれだけ苦しかったのだろう。
私はどうなのか?そんな思いをしてでも、絵と共に生きる覚悟は自分にあるのか?というかどうしたらそんな覚悟できんねんほんま。
……彼女の様子を心配してやってきたニーゴのメンバーにも気付かないほど真剣に父親の絵と向き合いながら、そこに込められた何かを感じ取ろうとしている絵名の姿がそこにあった。
その日の帰り際、意を決した絵名は父親に真相を問いかけると、雪平先生から聞いた話が紛れもない事実だったことが父の口から明かされた。
しかしそんな時に生まれたのが絵名であり、それをきっかけに描かれたのが、あの牡丹の絵だったのである。
ずっと暗闇にいるような感覚に苛まれる中で生まれたばかりの娘の姿が、暗がりの中で咲く牡丹の花と重なったのだ。
そんな小さな光を描いて、これで画家人生を終わりにしよう……彼は正しく『全て』を込め、その絵を描き終えた。
────────────────────それでも彼は、筆を折ることができなかった。
今回の首が取れそうなレベルで頷いた台詞大賞に輝いたのはこの流れだった。
逃げない、のではなく逃げられない。このニュアンスの違いには天と地ほどの差がある。
何かを作る行為は一般的には趣味として受け取られがちだが、絵名たちや私のように存在証明というか、自分が自分でいるための手段になっていることだってある。
それを放棄するということは、呼吸を止めることだったり、生きる意味を捨てることだったりに匹敵するのだ。
つまり辞めたくても辞められないし、逃げ出そうとしても脳と身体は勝手に次の作品を作るために動き出してしまう。
絵名のように、自分を許せないという人もいるだろう。
例えその過程でどれだけ苦しむことになろうとも、辞めて得られる喜びよりも後悔の方が圧倒的に多くなってしまうのだ。
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大袈裟に思えるかもしれないが、これは『ガチ』である。
恐らくなのだが、アウトプット自体が習慣(習性)になっていることが原因の一つだろうだろう。『憧れ』だってもちろん大きな理由だとは思うけどね。
例えば、物心ついた時から父親の絵と共に生きてきた絵名は自ずと絵を描き出し、画家を志すようになった。
私自身も幼い頃から何かを作ったり考えたりするのが好きだったし、10年前の時点で既に文字による創作はやっていた。
厳密に言うと、当初の私はどちらかと言えば奏タイプで『創作をしない自分に価値はない』と思いながら毎月投稿をしていた。
ちょうどコロナ過の最盛期で、マジで何もしていなかった虚無の時期だったのもあり、少しでも生きてる意味を見出したくて始めたのだ。
辞めたくても辞められなかったというよりは、『辞めるわけにはいかない』くらいのテンションで執筆していたような気がする。
当時はなんの希望もなかったけど、それでも生きていたかったのだ。
だからこそ、自分の作品がランキング上位に入った時は嬉しかったし、生きる意味や実感を得ることができた。
その中でも才能うんぬんについては悩んでいたので、奏と絵名のハイブリッドだったと言えるのかもしれない。
あの時期にこの話があったら本当にヤバかったと思う。
ちなみに、毎月一本小説を投稿していることが割かしトンデモ行為だということを指摘されるのはまた別の話。
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そんな面倒な性質を持っているのにも関わらず、生憎と絵名(と私)は才能に恵まれていないせいで作品作りの度にヒィヒィ言ってるのだが、ここまで来たら才能の有無はもうぶっちゃけどうでもいい。
できるできないの次元はとっくに過ぎ去り、『何が何でもやってやる』の境地に辿り着いたのだ。出来なければ死あるのみ。
例え呼吸する度に激痛に蝕まれたとしても、死んでるように生きたくない。だから、その苦しみと生きていくことを改めて誓うことができる。
それが東雲絵名という人間の強さなのである。
イベントでも度々言及されているが、ここで絵名が文字通り『覚悟』を決めたところで、今回の物語は幕を閉じる。
この話は、今までの絵名バナーを読んでいればいるほど味のする素晴らしい話だった。
これから先、絵名はきっと苦しみ続けることになるだろう。それでも彼女は傷つきながらも進んでいくのだ。これを美しいと言わずになんというか。
この話を語る上でもう一つ魅力的なポイントが、絵名父の『いやどんだけ娘のこと好きやねん』具合が尋常じゃあないところだ(母親も大概超人であることが発覚したが)
娘が生まれたのを境に絵が評価されるようになり、その娘が自分と同じ苦しみを味合わないよう、不器用な優しさで突き放すという……なんとも言い難い親バカだったのである。
今回のストーリーの最終盤でも、改めて画家になる決意を固めた絵名の言葉を聞いて『好きにしろ』と強い言葉を使っているくせに、ここで初めて微笑みを浮かべているのだから言い逃れもできない。
おい嬉しいんだろ?正直に言えよ、なぁ!?
しかし、これはなんらおかしい事じゃないのだ。
作風なんてものはどれだけ些細なきっかけでも変わりうるものなのだからね、小説家志望の人間が多感な時期に西尾維新なんて読んだらもう終わりと言っても過言ではない。
初めて自分に子供が生まれた、なんてビッグイベントを経ても『何も変わりませんでした~』なんてそっちの方が不自然である。
つまる所、絵名が今までずっと天才だった父親も、結局は彼女となんら変わらない普通の人間だったのだ。よくある話。
だからこそ、彼の言葉に込められた意味が際立つのである。上手いね話の作りが!
まとめ
今回の主題にもなっているが、モノづくりをするにあたって必要なのは『覚悟』である。
趣味でのびのびと人の目を気にせず創作できる人や、ガチで一握りの天才には関係ない話だが、他人の評価を気にする人やモノづくりで飯を食っていきたい人で、それをしないと生きられないという難儀な人種には必要不可欠なものだ。
私は誰かに『才能がないならやめろ』なんて言うつもりはないし、もちろんそんな権利があるとも思っていない。
でも、認められないことの苦しみと向き合う『覚悟』は必要だよ、ということは現在進行形で同じ苦しみを抱えている人や、一度心が折れてしまった人も含めて、色んな人に知っておいてほしいと思う。
それと、このイベントのテーマソングである『私は雨』の存在を忘れちゃいけない。
雨を連想させるピアノ伴奏は美しさと儚さを併せ持ち、Cメロの
『描けていたら 何も起きなかった セカイ的気候変動』という歌詞は事実陳列罪で極刑だろと思わずブチギレてしまう程、的確に絵名とニーゴの繋がりを表している。歌詞で刺すのはやめろと言ったはずだ。
個人的にはニーゴの曲の中でもトップレベルに好きで、本当に残酷なほど綺麗な曲なのでぜひとも聞いてみてほしい。
Cメロ以外も随所でちくちく言葉素晴らしい言葉選びがなされている名曲である。
総じて本当にいい話だったので、この記事を読んで気になった人はYoutubeで視聴できるのでぜひ読んでみてほしい。
実際のテキストで読んだ方が、彼女たちの気持ちが何倍も伝わるはずだ。
同じ悩みや苦しみを持つ人たちの心が、少しでも軽くなり、前に進めるようになることを祈っている。
~おまけ~
真面目に終わるのもなんか違うと思ったので、今回も最後に東雲絵名のカードを見たいと思いま
ハァ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?!?!!?!?!?!?!?(ブチギレ)
このカード、コラボ当時あまりにも予算不足で泣く泣く見送ったのだが、正直クロミちゃんを担当すると聞いた時から嫌な予感はしておりそれが見事に的中した形だった。前から言ってるがこの女はそれはもう顔が良く本人もそれを自覚しているため手に負えないのである。どれだけあざといことをしても許されると理解した上でこの顔をしているためこちらとしてはキレながら可愛さを認めるしかないのだ。こんな表情だけでなく儚くて美しくて純粋無垢な一面も見せられるのがこいつが如何に無法なのかを物語っている。仮にこのカードで舌ペロなんてしていたら私の肉体は爆発四散していただろう。
はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(ため息)
東雲家に生まれて二人のお兄ちゃんになりてェ~~~~~~~~ッ………………
-おわり-
気が向いたらまたプロセカで何か書くかも?