見出し画像

就職活動に全敗した話

ちょっと旅の話から逸れるけど、自戒も込めて最近の話を。

2022年9月、就職浪人生になった。

就活をサボっていたわけじゃなくて、ちゃんと色んなところを受けて、面接もして、その上で全落ちだった。

ちなみに成績は↓のような感じだった。

ES通過:15社/25社
1次面接通過:2社/15社
2次以降通過:0社/2社

言うまでもない完敗。

「23卒は売り手市場」「過去一簡単な就活年度」
そんな言葉がそこら中から聞こえてきた今年、私だけ違う世界線で就活をしていたのかと思うほどだった。

少しその全敗就活を振り返ってみる。

あと、これからの就職活動をする学生がもし見ていたら、ちょっとでも参考になればいいなと思ってる。

春、就活開始。


私の就活の始まりは3月。
休学して色んな地方を巡っていたため、いきなり本選考時期からのスタートとなった。

そこから色んな企業を探して応募し始める。

最初のうちはESもそこそこ通って順調に思えた。
しかし、その少しあとに最初の失敗点に気づく。

「エントリーを締め切っているところが多すぎる。」

就活を進めていたら、興味のある職種や業界が増えることもある。
そうしたら、そこにもエントリーシートを出すものだ。

しかし、私がその状態になったのは4月上旬。
人気の企業では、すでに3月中旬でエントリーが締め切られていて、追加する企業の選択肢は狭まりつつあった。

とても興味ある事業をやっている企業があっても、もう諦めるしかない。
就活の失敗点を自覚したのはこれが最初だった。

5月、面接ラッシュ


4月の上旬からは次第にESが通過した企業の面接が始まっていった。

この時点で面接の経験は0。
それでも、面接練習では「問題ない」という評価をもらえていたし、実際の面接でも質問に対して詰まることなく返せていることが多かった。

しかし、結果は2勝13敗。
何で落ちるのかが全く分からなかった。

今考えれば、返している回答に中身がなかったのだと思う。

「学生時代頑張ったこと」と聞かれて、事実の羅列だけをひたすら話していた。
「自己PRは?」と聞かれて、単純に自分の一番尖ったところを話していた。

後から聞くと、これは就活の「いろは」みたいなことらしいのだが、「どう考えてどう行動したのか」「相手はどのような人材を求めているのか」をしっかりと踏まえながら答える必要があるらしい。

多分、面接練習ではスムーズに話せているかを見てもらっていたから、ここに気づけなかったのだろう。
面接は落とされるところまで含めて練習なのだと、この時気づいた。

終わりの夏


「半分諦めモード」に突入。

8月までは就職のチャンスが十分にある。
うまく行かない私に対して、色んな人がよくこんな言葉をかけてくれていた。

しかし、この時点で私はすでに「何やっても受からんでしょ」状態になっていた。
どんなに時間を使って企業の研究をしても、しゃべる練習をしても、一向に受からない。

無限に無意味な作業を繰り返している感覚。

この状態は今まで困難という困難にぶつかってこなかった私には我慢できなかった。

「どうせ落ちる」が前提にあるので、前日の対策も、当日の本番も、ここぞって一瞬に粘りを発揮できない。サラッと無難に流してしまう。

挙句の果てには「来年どうしようかなぁ」なんて言い始める。
ここまできたら、もう受かるものも受からない。

今なら就活で「困難を乗り越えた経験」が問われる理由がわかる気がする。

そして、この状態から起き上がれなかったことが一番の敗因なのではないかと思う。

こうして私の就活のモチベーションは次第に失われていき、どこの内定もないまま23卒就活はゆっくりと幕を閉じた。

おわり

なかなかに最悪な就活だったと思う。
どこの内定ももらえていないということは、結果だけ見ればこの数ヶ月間なにもせずに家に引きこもっていた人ということだ。

でも、実際には収穫がなかったわけではないと思っている。

これまで、受験も、大学生活も、休学も、とてつもない苦労もなくなんとなく乗り切れてきた。
そして、そのテンションで就活に挑んだら、見事に完敗した。

「たいていのことはなんとかできるくらいの実力を持っている」という謎の自信もあったが、今はもうない。
割と色んなことを幅広くできると思っていたが、逆に何も極めてないことにも気づいた。

自分の身の程を知る良い機会だったかもしれない。

「頑張ってな。この失敗は、普通に就職するよりよっぱど意味がある。」

じいちゃんがこう言ってくれた。
この失敗にちゃんと意味を見出せるように、次は謙虚に全力で頑張ろうと思う。

いいなと思ったら応援しよう!