明るい人ってなんだろう?
明るい人、とはどんな人をいうのだろうか。
僕が好きな小説に、こんな一説がある。
主人公が友達から、先輩に惚れていると指摘されたシーンだ。この言い回しからは、主人公からみた憧れの先輩への距離がひしひし伝わってくる。
「華やかさと明るさ」に惹かれて、少し厄介なことに首を突っ込んでしまった後悔も、だからといって、嫌いになりきってない感じも読めるいい表現だと思った。こういう形の恋情を覚えたことがある人は、案外少なくないんじゃないかという気がする。だから僕は、”明るさ”について考えたんだ。
日国で引いてみた
日国で”明るい”を引いてみた。その中で、関連のありそうなものを抜き出してみよう。
明るい人、という言い回しから想起される所と外れていない気がする。サイダーのTVCMに出るような雰囲気かなと僕は思った。
じゃあ、なぜ人は”明るさ”やら”はなやかさ”に惹かれるのだろうか。
前置き
僕が好きだった言説に、勿論今はあまり好んでないのだけれども、
進化心理学を援用したものがある。
ドーキンスは人間を遺伝子の乗り物、生存機械とし、感情や心はソフトウェアなのだから、進化の理論を適用できるだろうと説明した。高校生の僕はこの言説を好き好んで喋っていた。だって複雑に見える頭の中を、簡潔な視点から考えることができるという点が、魅力的だった。こんな書き方をしたが、認知科学者などもこの考えを支持しており、荒唐無稽でもないのだろう。
今回はこれらの考えを一旦無視しよう。巷に氾濫する、進化心理学的にわかる最強のモテテクニック10選、みたな記事にはゾッとしないからね。
考察
明るさとは、気分だ。何事にも揺るがなくて、肯定する為の喜びに満ちていなくちゃいけない。そうした、生の肯定に芽生える雰囲気だった。社会を善くしたり、進展させたり、そういった発展に欠かせない燃料だ。そうやって周りの人を巻き込んでいく、天性の才能を上手に発揮し、社会から肯定されていく人が持つ性質だ。
だからこそ、嫌になる。それを持っていないと社会に必要とされていない気がする。その性質の欠如が、人間関係や社会的地位に関する失敗の本質だと感じられる。陰気な人には、人生を幸福に生きる、ということすら傲慢に思えるものだ。だから僕は文章を書いていた。
そんな事を考えて、ただ空を眺めていた。深い透明なそれは綺麗だ。こんな生活じゃ満たされない、本当に全部を捨てたいんだ。求めるのと同じくらいに、破滅したいんだって気持ちがずっとあって、だから憧れてしまうんだ。
過剰な期待に裏切られるとき、安心する
。また破滅や絶望に近づいたんだって感情が、どうしようもない悲しみを乗り越えさせてくれる。いつでも死ねるという事実ほど、希望を与えてくれるものはない。だから僕は、恒星にあこがれてしまいたいんだ。
そろそろ結論を書かなくてはいけない時間だ。
明るさは憧れの対象となる性質全般だってことにしておこう。
なんというか、纏まりのない文章になってしまったけれど、秋の雲みたいに曖昧模糊とした文には、それはそれで魅力があると思う。だって理路整然とした人生なんて退屈だ。だから、こんな文章で僕は納得しようと思う。
曖昧な話をするのは楽しい、気ままで自由だ。
だから僕は、どんどん破滅していきたいんだ。
僕の過去作かつエモ多め↓
引用した物
引用させていただいた本。ミステリとしても青春小説としても頭抜けて面白い話。
↓好きな曲です