逃避夫と臨戦妻

夫と話し合うと、必ず「言った、言わない」の水掛け論に発展する。

その時に自分が発言したこと、やらかしたこと。自分に不都合なことは見事なまでに忘れるか、記憶を改ざんして自分を正当化してしまう。

私は正直、忙しさもあるし記憶力にもそれほど自信がないため、堂々と「俺は言ってない」「それはお前の解釈がゆがんでいる」と言われると、「そうかもしれない・・・」と思って口をつぐんでしまう。


人間の記憶はあいまいで、どうしても自分の都合にあわせて形を変えてしまうことがある。だからそこを強く言い切られると、「あれあれ?そうだっけ」とこっちが不安になってしまう。でも、やっぱり自分の中では「そうじゃない記憶」が強烈に残っていて、あとから振り返ってなんか違う、やっぱおかしい! と、結局悶々と抱え込んでしまうという具合。

もちろん毎回毎回夫が間違っているわけではないと思う。私のほうが思い込んでいることもあるだろう。それでも夫は、「そうかもしれない」と、私のように私の断言には揺るがない。だからこそ私は「ほんとは覚えてんじゃないの?だから逆にそんなに強気で断言できるんじゃない?」と考えてしまう。

毎度毎度のことなので、何かあると「まただまされるかも」と警戒してしまう。自分がいつでも戦闘態勢になって神経を張り詰めているのがわかる。日常生活に気を抜けないのだ。うっかり油断していると、いつそのすきをつかれてしまうかわからない。


これで夫婦だというのだから笑ってしまう。


こうやって一人で「ピリピリの糸」を張り巡らしていると、そこに子供たちが引っかかってしまうことがあるのが最大の悩み・・・。ついつい子供たちの言動にも過剰反応してしまう。

離婚をしてしまえば、穏やかな日々が戻ってくるという確信がある。
夫ストレスがなくなるだけで、心にも時間にも余裕が出てくるだろう。本当は、敵がいても穏やかな気持ちになれればいいんだけどね。

仏陀のように悟りでも開かないと無理だー・・・・・・・・と、ふかーいため息。

自己愛の人は、自分の内面を相手に投影して、それに牙をむいているのだという。そう考えると夫の理由なきブチ切れは、なんとなく理解できる。自分が悪感情を抱いているので、相手もそうだと思ってしまう。

でもそこで私は立ち止まってしまうのだ。

私もそうなのではないか? 私も自分の内面を相手に投影して怒りを感じているのではないか? 本当は夫には悪意も何もなく、普通の平和な人なのではないか。私の感受性がおかしいから、夫に怒りを感じてしまうのではないかと。

自己愛性パーソナリティ障害に詳しい方に相談してみると

「大丈夫。自己愛の人は、自分から内省することはない。もしかして自分に問題があるのか?という発想はありません。もし、あなたに自己愛的な、あるいはモラハラ的な言動があるというのであれば、それはご主人に対抗するために、自分の身を守るために身についたテクニックであって、ご主人と離れれば影を潜めるものだと思います」

やっぱ離れるのがいちばんいいですよね? と尋ねれば、「一刻も早く」との返事がかえってきた。外の人から改めて言われると、だれが見てもそこまでの案件なのね、と複雑な気持ち・・・・・・・。

対して日常的にご近所の方たちからは、「ほんとにイクメンの旦那さんだよね」「かっこいいし、優しいし」「うらやましい」なんて言われてしまう。私がここで「家ではそうでもないですよ」と言っても、「ご謙遜を」で終わってしまうだろう。


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