2022年を振り返って
今年は、自分の中で将来にわたり何がやりたいのか、どうありたいのかが徐々に見えてきた一年でした。そして、これから生きていく上でいつかは直面していただろう様々な経験も積むことができました。
今年の個人的な活動として大きな動きは主に6つありました。
・nounoの立ち上げ
・Project Nozuchi
・まめなの運営
・農産物加工場の建設
・レキミン
・あいだすと島の寺子屋
以下、今年の活動記録です。
1月
父の故郷である宇和島で年越しをしました。12月31日、初めて我が家代々の村である人口5人の「後」の我が家がある「六十部」という集落のさらに奥にある「出尻」という廃集落に行きました。ここには、祖父や父が育った家の跡があります。
実際に集落の奥へ入ると、そこにはかつて父や祖父や曽祖母や曽祖父が生活していた頃の家の母屋や生活道具が辛うじて残っていました。消えかけていた村の開拓の歴史や口伝も聞くことができました。改めて、自分たちの村が無くなること、文化が無くなること、自然に還っていく村を実感しました。
年明け、まめなの第一期工事が終了し、本部である旧梶原医院と活動の拠点であるあいだすが本格的にオープンしました。まめな食堂もオープンし、たくさんのお客さんが来られるようになったことでまめなの状況も刻一刻と変わっていきました。
また、島最後の木造船を自動操縦の帆船化させることを目指すProject MIOの農船の譲渡もあり、どのように木造船を最先端のモビリティに生まれ変わらせるのか、プロジェクトが本格化しました。
さらに、久比の歴史を調査し未来を考える「あいだす独学部 久比歴史民俗学科(通称 レキミン)」の活動もスタートさせました。
2月
nounoの活動の相方である陽太が本格的に久比に移住。nounoの活動もスタートしました。nounoは、普段の暮らしと距離が離れることによって様々な課題がブラックボックス化している「農」の分野で、「全ての人にとって農を身近にする」ための様々な行動を起こすグループです。
2人で、nounoとして、農の未来を変えるためどのような活動を行っていくのか、どのような未来を描くのか毎晩話し合いながらプランを練っていました。
また、レキミンとして地域のおばあちゃんたちと一緒に平釜研究会を行いました「平釜」とは、久比の冠婚葬祭で使われていた大釜のことで、この釜を使いかつては様々な料理を共同で煮炊きしていました。そして、この平釜を使い、地域のおばあちゃんたちを集めて15年ぶりに「にしめ(煮物)」を作りました。
さらに、nounoとして様々な農法を試すための圃場「林圃場」の開拓を地域のおばあちゃんの紹介ではじめました。
3月
江戸時代から昭和30年までの久比の歴史を綴った「久比歴史年表」を発見。レキミンの活動として、データ化作業を行い、地域のおじいちゃんおばあちゃんたちを集めて聞き取り調査を行いました。
また、あいだすの一部を開拓し、地域のおじいちゃんおばあちゃんたちに教わりながら農床を開始しました。農床とは、久比の家庭菜園の文化のことです。
さらに、築50年以上の建物を登録有形文化財に登録するために文化財保護法や消防法、修復・改修手順を学ぶヘリテージマネージャー講習を修了。資格を取得しました。
4月
nounoとして、中小の農家さんたちがどのような課題を抱えながら農業をしているのかを知るため、実際にあいだすの甘夏を収穫し、あらゆる販売方法に挑戦する甘夏プロジェクトを開始しました。
一方、島の寺子屋では、大学生メンバーの進学や就職に伴い、運営するためのスタッフが足りないという後継者問題、熱量を持ったメンバーの偏りなど様々な問題などで、5月のGWに御手洗で開催される潮祭という芸術祭への出典を持って、活動を無期限休止することになりました。また、一月からあいだすがオープンしたことで、久比に毎日通う子も現れはじめたことも、活動休止の理由の一つになりました。
5月
甘夏プロジェクトの販売方法として、EC販売、店頭販売、個人販売、無人販売、自然農野菜や有機野菜専門の卸さんへの販売、飲食店への販売などに挑戦しました。
収穫した0.7tの膨大な甘夏をどう販売するのか、やってみてはじめて実感する様々な課題にぶつかりながら、たくさんの方々のご協力のもと、月末にはなんとかほぼ完売することができました。
また、農家の副収入としてカーボンクレジットの可能性を模索するため、大阪の高槻にあるバイオチャー研究所を訪問し、エネルギー源としての炭の可能性を感じました。
6月
新渡戸文化学園のスタディーツアーの高校生が久比に滞在されました。ヨットで海に出たり、一緒に畑を開墾したり、いつもお世話になっているおばあちゃんたちと、テングサから羽釜でところてんを炊いたりしました。
特に、地域のおばあちゃんの家にみんなで行き、その土地の草で、その土地で作られた道具を使い、その土地の生活空間の中で煮炊きする中で「郷土料理」や「地域文化」についていくつか考えることがありました。
また、久比の郷土料理である「久比のうどん汁」を久比のうどん汁保存会とあいだす共同で煮炊きしました。コロナ禍で3年ぶりのうどん汁だったこともあり、地域のおじちゃんおばあちゃんたちにも大変喜んでいただいたのと、うどん汁を作りながら、戦前・戦中・戦後の久比の暮らしの変遷についてたくさんのお話を伺いました。
さらに、地域にあった薬師堂の小さな薬師如来立像が文化財的価値がある可能性が浮上したことで、呉市の文化財課との共同調査の話も持ち上がりました。
7月
自動車免許の免許合宿のため、徳島へ2週間滞在しました。
また、久比に帰った後、本格的に農産物加工場の建設プロジェクトが動きはじめました。加工場建設は、広島県の商工局SANDBOXが行う実装支援事業という事業の中で、乾燥野菜を製造販売するhakkenというベンチャーの加工施設を久比に建設するというものです。hakkenの方々と一緒に、どのような形で加工場建設を行い、どのような商品をつくるのか、ミーティングを重ねていきました。
さらに、nounoとして、農の中で最も重労働である草刈り作業の軽減化を目指すProject Nozuchiも始まりました。Project Nozuchiも、広島県のSANDBOXが行うRing Hiroshimaという事業に採択されています。
nounoとして、具体的な活動実態が見えはじめてきた7月でした。
8月
Project Nozuchiが本格的にスタートし、農機具メーカーのやまびこさんをはじめ、現状の草刈りを知るために様々な農機具メーカーさんを視察・面談させていただきました。
また、nounoとして、農の流通・ボランティア・販売・資金調達・ノウハウ共有など様々なインフラになる仕組みをDAOとして実現できないかと構想していた時期でもあります。
9月
いよいよ農産物加工場の建設が始まりました。いくつかの古民家物件を調査し、改修工事により農産物の加工場にする案もありましたが、改修費用の問題で、あいだすの甘夏畑の一部を開墾し新築することになりました。
また、nounoの全体構想を練るため、メンバーの重富さんがいる能登中島へ滞在しました。現地の有機農家さんにもお会いし話しながら、再び、nounoとしてどのような世界を目指したいのか、何がしたいのか、根本的な部分から見つめ直しました。こうした機会を通して、nouno DAO 構想も、Project Nozuchiも改めて何から目指して、どのようなステップを踏むのかを明確にしました。
さらには、夏野菜が終わりしばらく放置していた農床を、地域のおばあちゃんたちに手伝っていただき、開墾しました。それ以降、毎月、様々な形でおばあちゃんたちに農床を手伝っていただいています。
10月
建設予定だった乾燥野菜の加工場は、予算の関係で基礎・躯体以外の内装外装は自分達でやろうということになりました。
どこにどう機材を設置するので建材は具体的にどうするのか、どれくらい必要でいくらかかるのか、どのように施工するのか、調達手段はどうするのかなど、全てが初めてな上に、右も左も分からない中で手探りでした。そんな中、まめなの施設改修でいつもお世話になっている村上内装の皆さんに、指導していただいたり工具を貸していただいたりするなど大変お世話になりました。
Project MIOでは、実際に木造船の階層にあたり、風力以外の動力をどうするのか、船外機にするのであればどこを補強するのか、実際の船を見ながら大工さんたちと作戦を練りました。また、実際にヨットで瀬戸内海を航海しながら、どれくらいの風力が見込めるのかも体感しました。
また、Project Nozuchiでは、ビッグサイトで開催された農業技術の展示会に行きました。世界中の草刈機の動向をつかむとともに、様々なメーカーの方々と技術的なこと、これからの展望について伺うことができました。
11月
あいだすの図書館の選書、HP制作を行いました。あいだすの図書館「library and bar 邂逅」は、最初、土地にあった本を収め、久比を訪れる人が本を入れていくことで「育てる図書館」をコンセプトにしています。
Project Nozuchiでは、レーザによって草がどれくらい切断できるのかという実験にキーエンスさんにお付き合いいただきました。センダングサ、アレチノノギク、セイダカアワダチソウ、アカメガシワ、アレチノノゲシの切断実験を行いました。
地域のおばあちゃんたちとは、柿の収穫作業をして、ホワイトリカーで渋抜きをしました。日々、石油文明以前の生きるための術を教えてもらいながら、多くの気づきを得ています。
また、まめなの運営では、それぞれ個々のプロジェクトが進む中、まめな全体としてどうしていくべきなのか、人的にも資金的にも環境的にも持続していくコモンズを、具体的にどのような仕組みで作っていくべきなのか、日々真剣な議論が繰り広げられました。
さらに、Project Nozuchiでは、オカネツ工業、やまびこジャパンの方々に久比の圃場に、ラジコン式草刈機をはじめとした様々な農機具を持ち込んでいただいて実証を行ってくださいました。
12月
農床の玉ねぎ用の腐葉土を山へ取りに行くところから12月はスタートしました。
また、加工場建設も陽太を中心に夜暗くなっても続きました。
さらに、Project Nozuchiの草刈機のプロトタイプ制作や模型制作など、実際に使う必要が出てきた3Dプリンターの使い方の勉強もはじめました。
加工場建設が進む一方、実際に加工場で生産する商品開発も進めていました。甘夏に次いで、nounoとして販売する商品は、「多様な畑のフレーバーティー」にしようと考えています。甘夏畑、自然農の畑、有機栽培の畑、おばあちゃんの農床、梶原医院の庭など、様々な農のあり方を香りで感じながら、それぞれの畑に生える栽培植物以外の可食植物をフレーバーティーとすることで、畑の生物多様性も表現したいと考えています。
そして、第一弾のフレーバーティーは「久比の耕作放棄地」をテーマとすることにし、Project Nozuchiでご協力いただいた岡山大学資源植物科学研究所の山下先生に同定していただいた植物表をもとに、食べられる植物を調べ、アカメガシワ、セイダカアワダチソウ、アマチャヅルを採集しました。
12月23日、耕作放棄地味のフレーバーティーの試飲会を広島市内のCampsで行いました。フレーバーティーは2023年3月ごろにリリース予定です!
12月31日、また僕らの村「後」へ戻ってきました。この一年を通し、本当に多くの実践を重ねながら、将来、具体的に何をして生きていきたいのかが何となく見えた気がします。
また、本当にたくさんの方々に支えられ、たくさんの困難を乗り越えられたと思います。まめなのみんな、地域の方々、友人、Ring Hiroshimaの関係者の方々、その他お世話になった方々、ありがとうございました。
年明け、僕が何を目指そうとしているか、またnoteに綴ろうと思います。