久しぶりの美術館。わからなかったから、考える。
東京都現代美術館で「あ、共感じゃなくて」展を観てきました。絵を観る目的以外の展示で美術館に行くのは久しぶりかもしれない。
展示のテーマとしては、簡単に共感されたくない意識や、共感に対してのアンチテーゼなないようだと思うが、作品と展示会のタイトルをうまくリンクさせて感じることが難しかった。たぶん、作家それぞれが独自の視点で独自の作品を作り、表現する中、世の中には多様な存在がいて、それを感じ取れるような内容だったと思うが、共感というキーワードにはうまく私はつなげることが難しかった。
展示会を観る前に、美術館のホームページを観る限り注目していたのは、ひきこもり当事者だったアーティストの作品だ。私も社会にうまく適応できなかった時期が長く、逆に共感したくなる内容だった。作品から感じられるひきこもりに対するイメージはやはり孤独が思い浮かんだ。ひきこもりとは、一般的なイメージでは家から出ずに家の中にこもっているのだから、それは孤独だ。でも、この作品たちを観ると、個が個だけの意味ではなく、孤立しているが同じ境遇である人たちが作品を通じて表現されることで、それはひとりぼっちでは決してないようにも感じられる。総じて写真は美しく展示されており、心地よい静けさのある空間だった。
たとえば私が今回の展示会のタイトルで作品を発表するのであれば、どのようなものを出展するだろうか。どの作家も独自の視点での作品だから、私自身の他者があまり持ち得ていないような一種特別な点を表現したい。でもそれは表現するのにも勇気がいるわけで。作家は表現するという強靭なメンタリティーの持ち主ではないかという考え方に至った。だから、簡単にはまねできない。技術だけではなく、精神性がどうやら求められるようだ。
そういった、一種なりわいのようか活動もやってみたい気がする。