可能性について、備忘録


 ゼンタングル(Zentangle)とは、「Zen(禅)」と「Tangle(絡み合い)」を組み合わせた造語。
 奥行き、平面における線のフロウを自然や心因的なモノに重ね合わせて持ってくる。
 禅即ち脳における物質の放出、思考の揺らぎについてを自然にある気の流れと重ね合わせたい。未だ実験の範疇を超えず完成した「モノ」としての完成度を上げるために色んな人から聞いた事も記しておく。
・インプット
 センスとは経験を経験たらしめる能力
・下地について
 絵は下地大事、ジェッソ最強
・フロー
 流れ、気
・クリア
 絵のコーティング
・バイブス
 自分の絵を悪く言わない
・描くとは自然の模倣である
 光に刺され影が露わるように当てられた光にまず気づき、影を見つめる事が大切

ゲラハルトリヒター
何を描くかではなく、誰かが絵から何を見るか。

「見ているつもりで見えていないこと」が、あまりにも多い。表層に魅了されてしまうと、その奥のレイヤーに気づけない。
決して描くことのできない何かに近づくために、輪郭を描き/ぼかし/拡張し/消してきた。
何かが欠損することで見えてくるもの。描かないことで見えてくるもの。
「本当のイメージなど描くことができるはずもない。だが、それでも探さなくてはならない」

らしい。
現在の課題 
構成力、構図の話
表現力、スタイルについて
テーマ、インプットについて

とりとめのない蛾の話について
 養蚕工場の動画を見て、蚕ほど哀れな生き物はいないと思った。蛹の中、ドロドロと己を溶かし月光の元に舞う夢を見る。しかし現実は飛べず、成虫にもなれず、なれても食事も出来ない。
 蚕は工場の蛍光灯に集る蛾を見て憧れを抱くのだろうか。かたや蛾は憐れみを、もしくは誇りを抱くのだろうか。
 そういえば、蛾には背中に光を感知するセンサーがあるらしい。そのため月の光と間違え蛍光灯の周りを飛び回る。彼等は光に呼び寄せられたのではなくたまたまアスファルトの区間に閉じ込められていただけだった。
 幸福などという曖昧な物に駆られ追い求めている僕達も街頭に集る蛾のような物で、あたかもそれが存在するかのように誰かに示唆され搾取されている僕らは蚕と変わりはしないのかもしれない。

2024年も末、絵が楽しい

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