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打ち上げ花火と流れ星と恋心

永遠の39歳で見えない存在になってしまった旦那様。

昔お友達と伊豆大島に合宿免許のために行き、写真見せてもらったら、

男達のおふざけ写真ばかり。

でも、その伊豆大島に連れて行きたいとずっと言われていました。

今もう20歳くらいの子供達がちびっ子な頃、かなり昔ですが、

夜、竹芝出発しなかなか寝付けず、

どこを見ても海という非日常な状況。

子供は寝てしまい、夫婦で「夏なのに海の真ん中って寒いね」って毛布に包まってお喋りをして過ごし、

夜明け頃島が見えてきて、降り立った東京都の伊豆大島は、

同じ東京都と思えないくらい、空は青く、木や花の色が鮮やかに見えて、

驚きました。

この綺麗な景色を見せたくて連れて来たかったのか…と思っていましたがそうではなく、

夜にお祭りと花火大会があって、その花火を見せたくて連れてきてくれたんです。

打ち上げ花火が上がるまで海沿いで待っていました。

波の音しかしない静けさ…

たまに待ち合わせがうまくいかない島の人のためのアナウンスが流れて、

それがまたほのぼの!

〇〇さんが△△さんをお待ちですので、◻︎◻︎さんの畑の前まで来てください…

といったゆるりとした放送。

なんかイイね〜などと言いながら、打ち上げ花火の時間がやって来ました。

すると、ひゅーっと打ち上がる音が聞こえるんです。くっきりと。

バーンと咲いた花火、周りに人がとくに居ないので、ほんとに静かに鑑賞できて、

もう、私達のために打ち上げてくれてるみたいだね!

なんてはなしていて、

次の花火を期待して夜空を見上げていたら、なんと流れ星。

1個どころじゃないんです。

流星群の日とかじゃないのに、花火を観ながら流れ星も観れてしまう。

なんとも贅沢な時間でした。

そして、このステキな光景を一緒に見たかったんだ!という気持ちも嬉しくて。

普段そんなキャラじゃないんです。やんちゃで時にワガママだったり、でも、

毎年七夕の少し前にはホタル鑑賞に連れて行ってくれたりロマンチストな一面もあって。

この伊豆大島への旅も毎年恒例の当たり前の事のように感じてしまっていました。

ある年の帰りの船が出港する時、

寄せ書きだらけのサッカーボール持った若い男の子が、

沢山の島の人達と色取り取りの紙テープで繋がっていて、

本土へ行っても元気でな!頑張れよ!忘れるなよ!たまには島に帰って来いよ!と言われていました。

出港と同時に紙テープはどんどん長くなり、女の子も男の子も港のぎりぎりまで走って来て泣いて手を振っていて、

数人の男の子達は服のまま海にダイブして手を振って頑張れーーーと見送っていて…

私にとってはまるで知らない人達でしたが、もう、島の人達のあたたかさ、最後に切れてしまうまで握りしめていた紙テープの美しさ、なにかを頑張るために島から出て行く少年の涙をこらえてる姿、全てに感動してつい涙が出てしまいました。

映画のようなサヨナラでした。

当たり前に毎年行っていた伊豆大島でしたが、ちょうどその紙テープの船で帰ったのを最後に行かなくなってしまいました。

私の祖父が亡くなったり、旦那様も転勤が決まり、

やっ転勤から帰ってきた年には急に心臓に負担がかかって永遠の39歳で見えない存在になってしまったからです。

映画のようなサヨナラは出来ませんでした。

2年くらいは現実味を帯びてなくて、3年目にやっと涙があふれました。

見えない存在になってからも気配は感じるし、忘れた日は1日も無いし、

当たり前だったイベントが、本当は当たり前じゃなくて、

とても愛情がいっぱいの特別な旅行だったんだなって今なら思えるんです。

ありがとう!を心から言える私に成長する前に見えなくなってしまったので、

今は見えない旦那様にありがとうって言ってます。

そして今年、息子が車の免許を取りたいなというので、

夏の伊豆大島に免許を取りに、一緒に行ってきます。

見えてないけれど、ちゃんと旦那様もついてくると思います。

きっと、やんちゃなイタズラをして私達を驚かせたり笑わせたりしてくれるんだと思います。

こんな風にかんがえられるようになるまでだいぶ時間がかかりましたが、

永遠に私の中に住み続けてくれているって思えるようになってから、

伊豆大島は、旦那様が私への愛情を、

美しい形の最高の想い出にしてくれた楽園の島なんだって思えるんです。

私がどんなに歳を取っても忘れたくない、大切な想い出の島。


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