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なんのために化粧をしますか?

うちの洗面所の鏡の前には、私の結納の日に祖母と一緒に撮った写真が飾ってある。祖母との唯一のツーショット写真だ。祖母は18年前、99歳で亡くなった。



メイクでスイッチオン

半年前まで私は日本でフルタイムで働いていた。

朝5時前に起き、軽くストレッチや筋トレをしてメイクをし、髪を整え、朝食の支度を終える頃に起きてきた夫とともに朝食をとり、着替え、6時半に家を出る。夕方6時ごろ帰宅すると真っ先にお風呂に入り、メイクを落とす。

多くの女性に言えることだと思うが、気分を上げてくれるコスメや香水やネイルは、私にとってもオンとオフの切り替えスイッチのようなものだった。

だからコロナ禍で一定期間在宅勤務になった時も、通勤していた時と同じように5時前に起きて支度をするルーティーンは続けていた。たとえオンラインミーティングの予定がない日でも、ちゃんとメイクをして着替えてダイニングの椅子にきちんと座って仕事をしていた。

誰にも見られていなくても、仕事中常に恥ずかしくない姿でいることは社会人としてのマナーだと思ったからだ。

何もしないオフのしあわせ


その代わり、「オフ」である休日には出かける直前まですっぴん、部屋着のままで一日過ごすこともあった。夫もそれで文句を言わなかったし、むしろ「出かけないのに何でメイクすんの?」というタイプの人。

コロナ禍でもあったし、出かけるのも近所のスーパーくらい。そんな時はマスクをして眉毛を描くだけ。
どっちかといえばメイクは好きだけど、出不精の私は何も予定がなくてオフのまま過ごせる休日が大好きだった。

渡米が決まり退職すると、毎日がオフになった。マンションからとりあえず私の実家に転居するまでの約2ヶ月間、荷造りに明け暮れる日々。私は何の疑問もなくすっぴんで過ごしていた。たまに宅配の人が来ても、マスクをすればまあいいや、と。

おもいでばなし


無事に引越しを終え、渡米の日まで実家暮らしが始まった。父や母のお友達が集まるサロンのようになっている実家には、しょっちゅう誰かが訪ねてくる。両親の手前、仕方がないので毎朝メイクはするようになった。めんどくさいしもったいないなあ と思いながら。

実家に引越して1週間ほど経った頃だっただろうか。祖母の命日に、遠くに住む母の姉と妹が訪ねてきた。私が伯母たちに会うのも、3姉妹が揃うのも久しぶりのことだ。

朝から雨模様だったが、伯母たちが到着する直前に雨が強くなった。まずお墓参りに行く予定だったが、90歳近くになる伯母には足元が悪すぎるので、お墓参りは取りやめようと言っている途端に雨が止み、結局伯母たちはお墓参りに行くことが出来た。

「ちょうどええタイミングで雨が止んだねえ。おばあちゃんがせっかくここまで来たなら早よ墓参りにいりゃあって言っとるみたいやったね。」
そういえばあんなこともあった、こんなこともあった、と思い出話に花が咲いた。

伯母が言った。

「おばあちゃんはいつも誰よりも早く起きてねえ、きちんと化粧して身支度して、外の人はおろか私らにもだらしない姿は見せんかったよ。
だから私もこの歳になってもまず朝起きたら化粧するの。だーれにも会わんこともあるけどね、それはおばあちゃんの教えやから。」

祖母の教え

私が高校生の頃に祖父が亡くなり、ひとりになった母方の祖母は、私たちと同居するようになった。自分で動けなくなるようになるまでは、毎朝決まった時間に起き、新聞をすみずみまで読み、オリジナルの体操で運動も欠かさなかった。いつしか化粧はしなくなってはいたが、長い髪をいつも綺麗に整えていた。年寄りに見られたくなくて、シルバー用の手押し車を持つのも嫌がったのだという。
派手なことは嫌いで慎ましかったけど、しゃんとしてて、おしゃれで美意識が高くて可愛いおばあちゃんだった。

祖母は人に見せるためではなく、自分のために化粧をしていたのだと思う。

私もおばあちゃんみたいになりたいと思った。


だから、毎朝誰よりも早起きしてきちんと身支度していた祖母の教えを忘れないために、アメリカまで持ってきた祖母との写真の置き場所はメイクをする洗面所に決めた。

再びメイクは気持ちをオンにするスイッチになった。

渡米して4ヶ月、夫以外の誰とも会うことのない毎日が続いている。ありがたいことに家事をするだけで1日中好きなように過ごす、ほぼオフの生活をさせてもらっている。

でも私の1日は、自分のためにメイクをしてスイッチをオンにするところから始まる。
洗面所の祖母の写真に恥じないように。