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映画ヒミズが好きすぎる

一番最初に知ったのは確か中学生のとき?泥だらけの顔した染谷に唇を寄せる二階堂ふみの画をみた。それだけで「この映画を絶対みたい」と思った。

トレーラーをyoutubeで検索して、(これは親とは見れないやつだ)、と気づいた。当時それはかなり大問題で、(というのもうちはテレビ番組も基本親の検閲済のものを視聴、漫画やゲームもだめとかなり鎖国ハウスだったのだ。家族が借りたDVDは家族みんなで観る、むしろ観られるものを借りるのが暗黙の了解みたいな)いかに自然を装って「ヒミズ」をレンタルするか、というのが課題だった。ちなみにYouTubeは親が普段使わないノートパソコンを貸してもらって観ていた。パスワードは父しか知らないので、使う前には必ず申請が必要になる。履歴消去の方法は友達から詳しく教えてもらっていた。

(あんまりこの予告編は好きではない)


なんとなく親のNG基準もわかっていた私。「ヒミズ」はだめだな、とわかっていた。(重力ピエロもダメだった。父のずば抜けた察知能力により序盤で停止ボタン押された。観てる人はわかるかも。あ、あとレオンもダメやった、タイタニックも!!やばない?)

ここで今色々つっこむのはやめていただきたい。(一人でDVDレンタル屋行けんのかい、とか親のカードでしか借りれんのかい、とか。)ほんとに素直で頭の固い中学生だった。


しかし絶対ヒミズを観たい私、今か今かとチャンスを狙っていた。できるだけ母がいないときがいいだろう、彼女の勘は恐ろしいくらい鋭い。父に関してはマックもカップヌードルも食べるし、ガキ使を観ることも許してくれるのできっと大丈夫であろう。(あんまり関係ない)


もし両親のなかで、一度「ヒミズ?」となってしまえば、きっとこの家を出るまでこの映画を観ることはできないと思った。ヒミズに気づかれてはいけない。失敗は許されない。私は本気だった。

金曜日の夜、その日は父と妹と3人だけで夕ご飯を食べいつものように近所のレンタルショップへ行った。急いで外ケースから中身だけ取り出し、父に渡す。あの泥だらけの住田の顔を観られてはいけない、と直感的に思った。父は虹色にひかる円盤をチラと眺めて「園子温か...」と呟いた。

唾を飲む、「主演の二人は十代にして、イタリアで賞も獲ったんだよ」と私は続ける。父は興味なさそうに「ふーん」と言って、それを手元のカゴに入れた。


ヒミズを借りることに成功した帰り道、嬉しさで爆発しそうだった。家につけばレンタルショップの袋からヒミズだけ取り出し、自室の棚に隠した。私がこれを観るまで、誰にも見つかってはいけないと思っていた。

そして次の日の朝4時に起きて、観た。気づいた妹も二段ベットから降りてきて、一緒にソファに座った。本当は本当に一人っきりで観たかったのに。しかし彼女と争っていては、物音で両親が起き出してしまうかもしれないのでグッと堪える。どこまで私が本気かわかってるのかよ、と妹の重い瞼にムカつきながらも再生ボタンを押した。音は最小にして、いつ親が起きてしまわぬかドキドキしながらテレビのすぐそばでへばりつくようにして観ていた。

正直このとき何を自分が感じたかの記憶はない。その日からしばらくたって、3.11での津波で流されていく映像を観たときに、初めて涙が出た。今ままで遠い国の出来事のようにぼんやり眺めていた場面に、私は住田や茶沢さんを見た。

原作は漫画であるとも聞いていた。しかし今まで結局読んだことがない。いつか読みたいと思っている。「漫画では、震災のことは出てこないんだよ」と高校の友達が教えてくれた。





それからもっと大人になって、一人でイヤホンつけて観てボロボロ泣いた。中学生のあの朝、ことば全然聞き取れてなかったんだね。やっぱり好きだ、と思った。

あのとき住田は死んだと私も茶沢さんも思った。彼女が思いっきり投げる石はのろまにぽちゃんと池に沈んでいくだけで、もどかしかった。だから後ろから住田が現れてくれたとき、「住田ありがとう」と思った。生きてくれて、ありがとう。


そしてもっと時間が経って、今度は「私の好きな映画」ということで友達とも観た。私が泣いている横で、友達は「でも結局住田には茶沢さんがいたんじゃん」と呟いた。そうだけど。

そして「住田には、やけくそになるか、自殺かの道しか残ってなかったと思うんだよね。でも彼なりの、鉤括弧付きの”正義”を選んだんだよ。」と言った。『カギカッコ付きの正義』とは?

なんかぶちぎれてしまったし、そこで自分が初めてどんなに住田が好きか気づいた。住田はいいやつだ、本当に。大人に好き勝手散々に荒らされた人生でも、自分だって存在してよかったんだ、社会のために役に立つはずだ、と街を彷徨う。親の借金を取り立てに来たヤクザに「俺はたまたまクズなオスとメスの間に生まれただけだ、だが俺はクズじゃねえんだ、おめえらみてえなクズにはならねえ、俺は立派な大人になるんだ」と叫ぶ住田に泣く。


友達は隣で解釈をつらつらと述べ続けていたけれど、それは茶沢さんと住田の世界が土足で踏み荒らされていく気持ちにさせた。私は彼らが好きすぎて、自分のことばで定義してしまいたくない、彼らの思いとか到底自分にはわからないことだと思うから。今考えると、友達もそこまで別に見当違いな解釈をしていたわけではないと思うのだが、その夜はいつもより泣いた。


教訓:自分が本当に大好きな映画は、人と観るべきではありません。


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きっと私は、ヒミズという映画そのものと、それを観たいと切望した自分全部まとめて好きなんだと思う。思い出のカプセルに全て閉じ込められて、きっと正常な判断ができていない。こんなに好きなのに、言葉が出てこない。


しかしまたしても、私は別の友達とヒミズを観てしまったんだ。彼女は途中で寝てしまった。園子温独特の演出が邪魔して話に入っていけなかったそうだ。最初だけ観てると、確かにあの茶沢さんはイかれててかなりうざったい女の子だ。


教訓:園子温映画は、好みがはっきり分かれる。


それから今日初めて、ヒミズのメイキング映像も観た。俳優たちがいかに精神を削りながら役にぶつかっていたか、ずっと涙を流している二階堂ふみ、映画には映り込まないたくさんのスタッフ。1時間以上あるけれど、観る価値あると思う。私の脳裏に焼き付いて離れなかった、泥だらけの住田の顔も撮影の間降り続いた雨によって生まれた、もともと台本にはないものらしい。


今では実家に帰れば、テレビも見るし、親と漫画の話もする。ラップトップだって自分のものを持ってるし、中学生の頃とはだいぶ環境が変わった。だから、久しぶりに両親に会った時に、一緒にYouTubeでヒミズの予告編を観た。私は予告編見るだけでも泣きそうになる、もうここまできたらパブロフの犬みたいで、果たしてその涙にはいったいどこまでの気持ちがあるのだろうといった感じだが。

最後まで観て、父がポツリ。

「アマゾンプライムにあったら、観ようかな。」


教訓:何度言ったらわかるんだ、自分。






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