
優劣感情のありか
今朝、ふと今年の冬に訪れたポーラ美術館での一節が頭に思い浮かんだ。
THE CAREER OF FLOWERS DIFFERS FROM OURS ONLY IN INAUDIBLENESS
"花々の生涯が私たちと異なるのは、その声が聞き取れないということだけです"
(ロニ・ホーン)

どんな花もとても美しい。
見る側、選ぶ側の私にとっては花の種類によって好みや気分、市場のトレンド(人が操作してるのかもだけど)はある。
だけど、花の種類で優劣をつけることはない。というかそれはナンセンスだと思う。
そして花々はそんな私になりふり構わずみんな自分の場所で自分を咲かせている。
...これ人もそうなんだろうな。
私の中で今この人が好きとか、この人に会いたいな、とかはある。
トレンドでなんだか気になるファッションとかメイクがあったりもする。(私はミーハーなので、そんなのも好き。)
だけど、ただそれだけ。この人に会いたいな!の"この人"になってないから駄目なわけでもないし、トレンドにのらないものが劣ってる訳でもない。
人の感度に刺さるか刺さらないかはどっちでもいい。というか"結果"なだけ。
なのに"誰かの好き"や"トレンドや人気"にならなきゃ。そんな流れがものすごくある気がする。(これ感じるの私だけなんだろうか)
誰かから選ばれてないと自分が駄目だと思ったり、自分の価値を数値で測って数値を上げるためにどうしかしようと行動する。
だから知ってもらうために役立ち情報を流したり、再生回数で自分を測ったり...
多分だけど、何かから評価されたり選ばれる自分として自分を設定してたりするのかもしれない。
そしてこれも多分だけど、そうやって自分以外の何かの為だけに生きてるといつの日にか疲弊する。
だって自分がいつまでたっても満たされない。
冒頭のホーンが綴っていた文章を読んで、"え?人と花の違いってそれだけ?"と美術館で一人ポカーン!としたことを覚えてる。
そうか。人より劣ってる、優れてる...って人と自分を比べたり、ましてや自分が人をそうやってみるなんてナンセンスで、自分をどう咲かせるか。ただそれだけか。
そしてそれが人にとってそれが難しいのは、
今までの生きてきた環境での固定概念や比較を通じて得てるものや守ってるものがあるからかもしれない。まずはそこと丁寧に向き合うところからだね。