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”きょうだい”の恋愛と結婚 (2)

まさかのここまで自分の恋愛・偏愛史を赤裸々に綴ることになろうとは、人生何が起こるかわからないものです。

この記事は、以下の記事の続きですので、先にこちらをお読みください。

なんなら、”きょうだい”って何よ、お前誰よ、っていう方には、なんと7000字を超えるロングなプロフィール、人生ストーリーを綴ったものもあるのでお読みください。

さらには、”きょうだい”について映画も作ってプロデュースしているので、よろしければ、こちらのアカウントもよろしくお願いいたします。

・・・という訳で前回までは、今の旦那と出会ったあたりまで書いたのだが、稀有で物好きな方から「続きが読みたい」ということだったので、勢いで言語化してみようと思う。

ベースとしてあるのは、”きょうだい”という障がい者が兄弟姉妹にいる健常者ということで、親の物理的な時間が障がいある兄弟姉妹の方に注がれるがゆえに、「1人でなんでもやる」「甘えられない」「愛に飢えている」という基本性質があって、その状態からの健全な愛を獲得して結婚に至るまでの軌跡みたいなものを書こうとしている、と知っていただけたら着いてきやすいだろう。

恋はもういらない

強烈な共依存関係の恋愛と、愛させてくれない男との恋愛を経て、もういい加減、穏やかな恋愛というか関係性が欲しい、「恋」はもういいから、手っ取り早く「愛」をくれ、みたいな心境にあった私は、寂しさを埋め合わせるだけだったり、本当は自分の何かを我慢して無理して合わせているのに、1人でいるよりはマシ、みたいな関係だったら潔く手放そう、しばらく1人でいよう、と覚悟したら、すぐに今の旦那との出会いがあった。

出会いの瞬間は、今でもよく覚えている。

互いに英語をネイティブから習っていた私も旦那も、共通の英語教師=R繋がりで、Rを囲う集い的な飲み会で出会った。韓国系の血でも混じっているのかな、日本語通じるかな、とか初見で思った。6名でしばらく雑談して帰りしなに、帰り道が一緒だったために声をかけられて連絡先を交換した。

・・・これで本当に、3日以内に連絡が来て、また会うことになるのであれば、もしかしたらもしかするかもな、という予感を残していた。結局、3回くらいデートして付き合うことになったので、覚悟を胸に元彼Bと別れた割には、結果的に、私は、あまり1人の時間はほぼなかったw

・・・今にして思えば、うちの旦那は、なんにしても、新鮮であった。
いつでも「自分の好きなもの」を熱く、だがしかし、ソフトに語るのである。万年筆へのこだわりと愛着ある2本の相棒の紹介、なぜ万年筆が好きなのかの語りから始まり、好きな映画の話やらボードゲームというジャンルのマニアックなものが好きな話や、後から知ることになる、職業=旅人だった1年半で訪れた、世界各地の体験話やそこで食べた懐かしい食べ物の話や、譲れない好き嫌いがはっきりしていて、一緒に映画を観に行こうものなら、互いの好みが違いすぎて、「なぜこんなつまらない作品を観させられているのか」オーラを視聴最中からバシバシ感じ、視聴後には「2度とこいつと映画なんて一緒に観るものか」と怒りながら帰ることもしばしば、しかしながら意見が合って「この映画はいい!」となった時でも、どこがどう良かったというポイントが全然違ったり、だけどその互いの違いを発見するたびい大いに笑う旦那を見て・・・ということを繰り返していくうちに、

なるほど、これが「人」が互いの輪郭を明確にしていく過程で、「人」がそれぞれの違いを受け入れていく過程なんだな、と思ったりした。

なんというか、それまでの、「恋愛」=「あなた色に染まりますよ」/「あなたも私に染まってください」的な、まさに共依存的、依存的なものではなく、それぞれの主義主張はどこになるのか、どこに大切な価値観があるのか、を確かめ合いながら信頼関係を築いて行ったように思う。

得てして、

自分の生きる軸や世界観がちゃんとあって、それでいて、「私」という人生をちゃんと確立させてくれる人。何気なく過ごす日常、ご飯を作って食べる時間や買い出しや洗濯、そういう日々の家事を一緒にしていて楽しい人、特別なことはなくていいから・・・。

という、出会う前から、明確にビジュアライズもして、本当に人生を共に過ごすために最適な男性のイメージ像通りの人が現れた、と思った。

ジェントルマンであり、そこそこ(?)イケメンで、これでスタイルまでよかったら虫が良すぎるが、スタイルは本人の言葉を借りればずんぐりむっくり系だが、思いやりが合って、私の時間や世界観を尊重してくれて、「1人の時間も大切だよ。あなた自身のコミュニティも大切にね。」と言ってくれるあたりも、この世界に、私という人間と、彼(旦那)という人間とが、それぞれにちゃんと自立して立っていて、そうして一緒にいることを選ぶ、という、言葉にすると至極当たり前なのだが、そのことが成り立つ彼との関係に、私は結構、驚いていた。(←どんだけそれまで依存型だったんだ)

家で一緒にご飯を作るのも、スーパーへの食材買い出しの時間も、借りてきた映画DVDを観ながら、美味しいチーズとお酒を交わしたり、休日は掃除したり洗濯したり、近所の散歩とか、何でもない時間が楽しかった。普通の時間を共有できることが神だった。(THE 虎舞竜の「なんでもないよう事が幸せだったと思う〜♪」っていう歌詞が出てきちゃうw )

「家族」な感じがして、「居場所」がある、「私はここにいていいのだ」と思えたことが、私を安心させたし、ああ、この人以上の人はきっと現れないな、と悟っていた。

・・・何度もいうけど、そういう人をオーダーしたからね!!荒々しく激しい衝動的な恋愛とかどうでも良かったしね。

とにかく静かに暖かく愛で包む人であり、それでいながら信念が強く、「これを守る!」と決めたら意地でも曲げない、何者にも何事にも絶対に屈しない、という揺るぎなさが凄かった。

結婚は勢いとタイミング

この人は、きっと一生、私の味方でいてくれるのだろう。という絶対的な安心感は凄い物があった。多分、その信念の深さと強さに最初から惹かれていたのだと思う。

だからなのか、最初からオープンにしていた、私の妹が障がい者だということを聞いても、何もうろたえず、顔色が変わらなかったし眉一つ動かさなかった(と思う)。むしろ、付き合って僅か1ヶ月のころ、「そんな家庭環境ならお母さんが心配するだろうから、僕、挨拶に行くよ」と言い出した。

!! まだ結婚も決まっていないのに、彼女の親に会いに行く、しかも、障がい児を育ててきた母に会いに行くんですか?! ・・・と驚愕した。

出会ったタイミングも良かったのだろう。次に好きになる人とは結婚しようと思っていた、という彼(旦那)、当時33歳。私、27歳。結婚とは付き合いの長さではなく、勢いとタイミングだ、というのはこのことか。それまでとは違い、流れが明らかに「結婚」に向かっていたのは感じていた。そこには、”きょうだい”であり、妹が障がい者だということが結婚の障害にはなりそうもない、そんなことぐらいでは障害にさせない、という確固たる意思も感じていた。(この辺は、プロデュースした映画とは違う設定ですな)

ここ追記:「もし親御さんに反対されたらどうするの?」と聞いた時の返しも、揺るぎなく説得力があったので紹介してみる。

旦那:「親?うちの親は反対とかしないと思うけれども、たとえ反対したとして、結婚すんのは親じゃなくて俺だから、関係ないよね」

私:「(ほー)そう、だけどさ」

旦那:「親はどう考えたって先に死ぬじゃん?で、これから先の人生で、一緒に過ごすのが長いのは、(親より)君だよね。だったら、親との関係よりも君との関係の方が大事に決まってるじゃん。」

私:「(なるほど。)」

こういう説得力を持って自分のスタンスをあっさり口にできるあたり、此奴は凄いと思う。そして、本当に、もし親に反対されたら、親との縁を切ることぐらい、あっさりしてしまうであろう貫徹さがあった。・・・結果的に、旦那の予想通り、全くもって反対などされなかったばかりか、私の境遇を知って、「(私の実家が)辛かったらいつでも本当の三間家の娘になっていいんだよ。」とまで言ってくれた義理父母には感謝しかない。(これも映画の設定とは違うところ):追記ここまで

幸せになりそうになると拒絶しだす病気

こう来ると、「良かったね!」ということになろうかと思いきや、そうは問屋が下さないのが、私らしい。”きょうだい”として生きてきたサガがニョッキリ現れる。

せっかく、自分で「こういう人をください」と宇宙(神)にオーダーして、オーダーした通りの人が現れた!のに、今度は、そのことを疑い始めるのであるw

こんな虫のいい話があるはずがない。面倒なうちの妹ちゃんも懐いたりして、この人との結婚は、いろんな人から応援されている感じがするが、私の人生に(限って)こんな上手い話が起こるはずがない。これはきっと夢オチかもしれない、いやはや、こやつは、テイのいい結婚詐欺師で、もしかすると、私はまるっと騙されているのかもしれない。

ということを本気で考え始めるのである。・・・厄介な話だw ということでせっかくいい感じで距離が詰まってきて、関係性が構築されてきているというのに、こともあろうか、自分から愛を疑い出し、愛を試そうとし始め、壁から覗き込む「家政婦は見た。」状態な、もしくはひょっこりはんみたいな状態で、旦那の様子を観察し始めるのであった。・・・要は、自分に対して「幸せになっていいよ」という許可がなかった。幸せが手に入りそうになると、「私だけ幸せになるなんて許されるはずはない」という思い込みが作動していたのだ。

こうして振り返ると、・・・実に面倒な女だ笑。

なんだかんだと、付き合い始めて1年後には入籍したのだが、私は婚姻届と結婚証明書の発行を見届けて初めて、旦那への疑いを解消したw ちなみに、「結婚詐欺師かもしれないとずっと疑っていた」と打ち明けた時、とてもショックだったそうだw ←そりゃそうだ。

彼にとっての結婚の決めてはポテンシャル採用

これだけ書くと、なぜそこまでして彼にとっては私だったのか、というのは非常に興味深いことだが、結婚前に問いただしてみたときに、「ポテンシャル採用」的なセリフを言っていた。

ちょうど転職活動中で、転職先となる2社目の内定を最終面接の際にいただいた時も、「君はまだ若いし経験もまだ浅いが、それでも3年の間にやってきたことを鑑みて、我々は弊社で活躍してくれるであろうポテンシャルを買う」というようなことを言われて採用されたばかりだったので、旦那のセリフは、

「お前もか、ブルータス!」

的にデジャブ感があった。もう少し解像度高く見てみると、旦那は、「今(その当時)の私」ではなく、「未来の私」を見ていたのだ。まぁ、上記で書いた通り、自分で言うのもなんだが、結構なメンヘラだった訳でw、感情に振り回されること多く、思い込みも激しく厄介な女だったが、

彼はどうも、その当時の私ではなく、数年後、十年後、十数年後には、きっと私はもっと精神的に自立して、大人になり、そしてやがて「真のレディ」になるに違いない、そのポテンシャルを持った女だ、と判定していたらしいw

その彼の判断が、幸か不幸か当たったのかどうか、「真のレディ」になれたのかどうかも、やつにとっての「レディ」の定義も聞いたことはないが、ひとまず、メンタルの強化というのだけは、確かに当たったと言い切れるだろう。結婚当初は、メンタル的には、旦那の方が圧倒的にタフネスで、感情にたやすく振り回されメンタルが弱い私は、幾度となく旦那に支えられてきたわけだが、今や、私も強くなり、当時の豆腐メンタルはどこ吹く風、メンタルの強さには自信があります、と豪語できる今があるほどに、メンタルタフネスレベルでは、旦那と対等になったと思う。

それには、”きょうだい”な女性としてのメリットとして、実家の”戸籍”から物理的に除籍し、旦那の戸籍に入り、姓が変わる、と言う見た目も変わることも、私の人生の流れを変えてくれたと思っている。

人生のなかで、かなり苛まれてきた家庭環境での苦労が、苗字が変わることで、憑物が落ちるように(ごめんね、父ちゃん母ちゃん妹よ・・・)、家族を客観視できるほどの距離感ができた。夫婦別姓が叫ばれて久しいが、私の場合は、旦那の苗字に変われるこの制度に救われた。

うん、この10年を振り返って見ても、私のメンタルの成長は、旦那との結婚がなければ、絶対になかった。

彼が現れたことで、10代のころは「家族」が安心できる居場所ではなかった私にとって、安心できる「家族」「居場所」ができたことは、とてつもない人間成長の土台を作ったのだ。

と言う訳で、一つの”きょうだい”結婚ストーリー秘話をお楽しみいただけたろうか。

・・・ああ、書いた書いた。もうこれ以上、何も出てこないよ!!笑

おしまい。

プロデュースしている「きょうだいの結婚」を描いた映画の情報はこちら


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