アートと映画制作と私。 #1
「#部屋とワイシャツと私。」風なタイトルから。
#アート思考 #映画 #映画制作 #エンターテイメント
アートって人生において大事だ!ということを感じながら言語化できずにいて、このコロナの困難の現在から未来においては、さらにアートって必要不可欠になるだろうな、と思うこともあり、なかなか言語化できてこなかったこの分野の言語化に挑戦してみるコーナー(?)
いつもながら私的考察なので長くなりそうだが、このコラムが、読んでくれたあなたの、人生におけるアートに触れる時間が少しでも有意義になることをゴールにして書き進めたい。
私の人生における「アート」との出会い
私にとっての最初の「アート」との出会いは、「映画」だった。
映画にハマったのはおそらく5歳の頃。
映画っていいもんですね〜
さよならさよならさよなら
有名なセリフで締める、映画番組枠があり、そこで録画した『グーニーズ』を50回くらい観て、ダビングしていたビデオを擦りきらさせた。どこのタイミングでどんなCMが入るかまで熟知していた気がする。
『グーニーズ』の後にどハマりしていたのは、『インディジョーンズ魔球の伝説』だった。どちらも、冒険心をくすぐられ、作り物だとわかっていながらも、非日常的な映画セットにドキドキした。
他にも、ダイナミックな作品が多かった当時、ブルース・ウィルス『ダイ・ハード』シリーズ、シュワルツネッガー『ターミネーター』シリーズ、サンドラ・ブロックを有名にした『スピード』、シルヴェスター・スタローン『クリフ・ハンガー』などのアクションものから、
子役カルキン君が可愛い『ホーム・アローン』、ちょっと頭がよくなった気がする『冒険野郎マクガイバー』、『刑事コロンボ』から、『ポリス・アカデミー』などの爆笑コメディしかり、『釣りバカ日誌』も大好きだったし、”キョンシー”が出てくる『幽霊白書』も大ファンで、あまり知られていないだろうけど、『チャイニーズゴーストストーリー』も好きだった。
当時はインターネットがそれほど普及していないので、「映画大辞典」というものをひいては、視聴済みの映画にマーカーを入れ、その映画の出演者の名前を調べ、同じ出演者が出ている作品を次に観る、などの徹底ぶり。あ、これ、やっていたのは、小学生の時ね。ドラゴンボールのアニメとか目もくれずに映画ばかり観ていて。
同じレベルで語れる同級生はいなかったけれども、兎にも角にも、映画という世界への没頭は、静かにしかし確実に「映画って、総合芸術だな〜」「あらゆる芸術(アート)に触れて、取捨選択して、映像で映し出し表現するものを吟味している」ということをすでに認識していて、映画という形で表現された「アート」に、酷く心を掴まれている子供だった。
それのおかげなのか、昔から美術の時間は好きだったし、美術館も好きだった。特に現代アートがお気に入り。解釈が無限にあり、答えが一つではなく、受取る側に無数のインスピレーションを与えてくれる感じが好きだった。
これだけ「アート」への趣があったと自己評価していた私だったが、大人になるに連れて、「世間の常識」にまみれてしまうこととなった。映画というのは、「娯楽」であって、「勉強を妨げるもの」というレッテルを採用することになる。果たして、映画を観る時間は減り、そのまま、ワクワクの時間は減っていく。
突然訪れたパンドラの箱が開く瞬間
時は、2019年まで飛び、「ちょっとした映画好き」ぐらいではあったが、小学生の時の、異常なまでの映画愛については、自分自身が忘れていたぐらいだったのが、忘れもしない2019年11月13日、「ぎっくり腰が首に来たやつ」と呼んでいる、首から腰が固まって動かなくなった日があった。
横になっていても立っていても辛い。どんな姿勢でいても辛い、という、ああ、ヘルニアの人が辛そうなのはよく見ていたけれども、本当に、こんなに何もできないということがあるのか!と衝撃だった。
でも、ところが、この体への異常事態が、これまで蓋をしていた何かが剥がれ落ち、堰き止めていたものが決壊するかのように、何もできない体、動けない体で、そこから2週間あまり、映画・ドラマの視聴に明け暮れることになった。
人生、やることだらけできたから、映画一本インプットすると、それなりにお腹いっぱいになって、切り替えて仕事するとかしていたところから、枯渇していて枯れていたところに、どれだけ水をかけても吸い込まれてしまって”ひたひた”な状態にはなかなかならないように、それはもう浴びるように、映画というアートで自分を満たすかのようだった。
極上の時間。
突如として訪れた人生2度目の「映画への没頭」の時間。これが奇しくも、「そうだ 京都、行こう。」のごとく、
「そうだ 映画、作ろう。」
というフレーズがポーンと浮かんだのである。これまで私のライフミッションだと思いながらも、具体的な行動計画やビジョンが見えてこなかった分野があり、どんなツールを持って社会を変えていけばいいのか?と考えあぐねていたところに、
「映画だ!」「映画だったんだ!」
という、人生の最後のピースが埋まるかのような、しかも、なんてことはない、自分の幼少期のことであって、こんな簡単なピースをなぜ今まで見つけてこなかったのか?というぐらい、あっさりと腑に落ちるメッセージだった。
映画制作への没頭
思いついたら、なぜかすぐに、映画制作を行おうというチームが人生に現れるのだから、人生ってとてつもなく不思議だ、と思う。
2020年1月年始。脚本が上がってきて、すぐに絵コンテ制作に取り掛かる。漫画家になりたかった12歳の自分がむくむくと湧いてきて、ワクワクと産みの苦しみに立ち向かう。
ああ、いよいよパンドラの箱はひらけたり。
絵コンテ制作の過程はもちろんのこと、撮影がとんでもなく楽しすぎた。
それまで、台本という文章、言葉としてしか存在しないものが、役者たちによって、3次元に昇華されていく。
形ないものが、目の前に立ち現れる瞬間。撮影が徹夜だろうが、1分のシーンに撮影に2時間かかろうが、それでもワクワクが止まらないぐらいの「映画制作」という麻薬。
これは中毒になる人が続出する分野なのだ、ということをやってみて体験した。
だがしかし、制作に没頭すればするほどに、自分の中の新たな”ざわざわ”が起きてきていた。
続きは#2へ!(たぶん)