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第2章 泣いてばかりだったNYの冬
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こちらの記事は、連載です。
先に以下よりお読みください。
NY滞在期〜過去を振り返る
第1話 自分に本気で向き合うことになったNY
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パニック障害だとわかったとき
私は、いままで
悲しいことを「悲しい」と
辛いことを「辛い」と
苦しいことを「苦しい」と
表現してこなかったことに
気付いた。
いつも
私は、「平気だよ。」
という風だった。
本当に、自分は、「平気だ」と
思っていた。
誰にも多かれ少なかれ
悩みはあるし
私だけが嫌な体験をしている
わけじゃない。
もっともっと恵まれずに
育った人はたくさんいるし
私は、とても恵まれているんだ、と。
だから、私は、私に起きたことなんて、
私の人生に起きたことなんて、
「大したことない」
って、片付けたかった。
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それは、いま思えば、
何かを体験した直後に、
私(A)が私の別人格(A')を作り上げ、
あたかも、A'が体験してきたことにみなして、「A'って、こんな体験したらしいよ」と、
Aが語っているかのようだった。
本当には、Aが体験してるんだけどね。
「自分の人生」っていう
受け止め方が出来てなかったんだね。
もし、この体験が自分の体験だったと
A'の体験じゃなくて、Aの体験だよ、
と突き付けられたら、
Aは、壊れてしまうかもしれないと
咄嗟に身を守っていたのかもしれない。
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そんなわけで、
そのとき、ようやく、私は、
「A'の人生に起きたこと」は、
紛れもなく、
「自分の人生に起きたこと」
だと、気付いてしまったことから、
「悲しかった」場面
「辛かった」場面
「苦しかった」場面
それらが、初めて、
自分自身の「感情」として自覚されたのだ。
NYで、心の支えになっていた
友人が1人去り、2人去り…
そうやってどうにも拭えない
寂寥感が押し寄せてきたことは
きっかけに過ぎなくて、
今までの人生で
「自分」が、
「寂しい」と感じていた、と
「自分」が、
「悲しい」と感じていた、と
「自分」が、
「苦しい」と感じていた、と
初めて、
受け入れたのだ。
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ああ、私は、「感情」を
感じないように感じないように
ずっと蓋して閉じ込めて
なかったことにしてきたんだ。
それまで押し留めていた
「感情のダム」が決壊したかのように
それまでの一生分を泣き尽くすかのように
私はとにかく、泣き続けた。