NFTとアートについて
NFTのこと
Talksandという国内サービスを利用した。clubhouseより話題で繋がる要素が強い、1on1の会話アプリ。「アート×ECをどうやって成立させるか」というテーマが立ち上がっていて、興味ある分野なので食指働き、土曜の朝に話していた。その中で、NFTの話題になった。
趣味アート鑑賞でどっぷり浸かってるものの、NFTを結節点にしてアートを考えたことはあまりなかった。単語として初めて触れたのは、2018年12月号の『美術手帖』アート×ブロックチェーンのテーマでのGoh Uozumiさんの記事だった。
NFTはNon-fungible token(非代替性トークン)の略。ブロックチェーン技術を使ってコピーできないデジタルデータを作成可能にする。
デジタルなのにコピー出来ないってのはどういうことだって分かりにくい感持っていたものの、限定モノのシリアルナンバー付与や、鑑定書などに近い感覚持っている。作品来歴や真贋証明中心に利用されてきた技術が、クリプトアートとして作品そのものにも注目されてきている。偽物でないことの価値である以上に、唯一無二であることの新しい価値。
NFTの先例は猫。始まりは猫。
Nyan CatのGIF画像がイーサリアムの円換算、約6100万円で取引された。
最近、クリスティーズでもNFT作品が初めて出品されて、
Beeple《EVERYDAYS: THE FIRST 5000 DAYS》には70億円超の値がついた。
高額売買で話題になっている感覚はあるけれど、そもそも唯一つであることの価値に関しても考えたい。
唯一性の価値と環境
デジタルアートに課金する一番最初の体験は何だっただろうかと思い起こすと、待ち受け画面の壁紙のダウンロードかもしれない。中学一年生の時、ツーカーという携帯を持っていた。荒いピクセルのラッセンの海の画像で「買ったったで」って100円程度でイキったのを朧げに覚えている。
規格化されて量産されているからこそ、それが他と違うと主張したい心理は働く。オリジナル、ファーストエディション、限定って言葉で動くお金は物凄いけど、汎用的なものがあるからこその価値が出る。誰も知らない世界で一つだけのものに価値はつかない。
小さい頃、同じものが配られたら名前を書くって教わる。何か書き加えて自分のモノって安心感持つ感覚は昔からあるかもしれない。代替不可なものの価値は、代替が存在する環境とセットで成り立つ。
NFTはデジタル世界での規格の唯一さを保証する。NikeのCryptoKicksは俺/私だけが持ってるって証明だけでなくて、真贋担保や別のシューズと混ぜて子孫靴も作ることができる。子孫履…新種作るチューリップみたい。
作った靴はゲーム内のアバターでも装着できる。特にデジタルスキンのNFT作品は、ゲームが公開の場としてあって、顕示できることも込みで価値になる例が多い気がしている。
F1® Delta Timeはバーチャルレーシングカーのオークションで成功した。モナコグランプリでは、コースの所有権も一部売り出し、定期的に開催されるイベントの利回りを得ることができる仕組みもある。
現物より場所の制約はない。その作品がどこで共有され、鑑賞利用できるかにも今後注目していきたい。
NFTアートの二次流通
アート作品はセカンダリー市場が一般商品と比べて圧倒的に大きいものの、制作者に入るのは初めの購買のみ。初めから価値を上げないといけない構造にあり、ターゲットも限られる。NFTの仕組みとして面白いのは、セカンダリー市場の売買でも堂元や製作者に手数料が入る方法を採れる。
Kings Of Leon はビジュアルアート、アルバム、ライブ特典のシートなどをNFT化した。オークションで販売されたものは転売されても本人達に還元される。
クリプトアートは未だ価格高騰している。セカンダリー市場の拡張の可能性に関しては話題に上がるものの、購買の敷居が下がったまでと言えなさそうという印象。私蔵のアート作品は、クローズドなコミュニティで公開されてしまい、投資家による保有は、アートの公共性を失わせていくのではという問題もある。NFTによって売買ネットワーク自体の変容があれば、その裾野をより広げうる可能性もあると思うので、期待したい。
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