男のメンヘラの使い方

この前、精神科に通院するという男性と出会った。

30代前半と名乗る彼はどこか俯きがちで、気力を有さない。
新宿駅から指定のカップルズホテルまで「今から行く」と言いつつもGoogleマップの表記では13分の所を27分かけて来ており…
新宿駅の複雑さや信号の待ち時間を考慮しても随分と遅い到着だ。

道のりが大変であったことは分かるけど、彼はあまり遅刻を悪びれておらず、どこか配慮に欠けている様子。
余裕のなさとデリカシーのなさに格好悪く思った。


出だしにいきなりホテルだとかご挨拶なもので、読者の皆様には驚かれてしまったかとは思うけれども、つまりはそういうことだ。


気力がなく、けれども、性の欲望は込み上げてくる様子で
こと半ばに「体力が…」と言って、身体の動きを止めてしまった。

誘っておいて中折れとは…悲愴感も極まれり、というところだが…
社会人になってからと言うもの、運動をする機会が能動的にならない限りは少ないことから意外とよくある。
それにしても彼はイヤに諦めがよくて、それでいて自主的に性行為を求めていた者とは疑問に思うほどだった。


端的に言えば気力に乏しいと言っていい。

「人と話していないとどうにかなりそうで…」
そういう彼に忖度なく
「鬱みたいなこと言うんですね〜。」
と言うと、正しくということらしく、そこから本人の精神的な病に関してドンドンと吐露されて言った。

滅多に自分の不遇を共有できる相手がいないことも拍車をかけていたとは見えるが

どうにも大っぴらすぎると言うか、何ならそんな僕可哀想でしょ?だから助けて?
とでも言いたそうな態度には少し彼の今後が危うく感じられて…

「通院だとか、病歴のことは誰にでもは話さない方がいいかもよ??」

と一言告げると、どうにもそれが理解できなさそうな彼は、「どうして?」と言いつつ
自分の境遇を受け入れられたい気持ちの否定に感じたのか少し悲しそうにした。


多種多様を重んじられる現代であることは重々承知ながら、深めの二重アゴが印象的で、おおよそ女性ウケとは縁遠そうな彼に対して
精神病系統の追加のハンディは、業務的観点にも、恋愛的観点にも、マイナス面が大きいことを判断しての言葉であった。


いわゆるメンヘラ。
どちらかというと女性に使われやすい言葉であるが、表面上は男性間での評判は悪い。
とはいいつつもその実、メンヘラの女性は潜在的な男性からの需要は掌返しに高い。


手助けを求めている印象から、男性の内在する、誰かのヒーローになりたい願望とマッチしているのだ。
加えて、大半の女性が有する男性からの性的需要を満たす対象としてメンヘラ女子は都合がいい。

性へありつく所を引き換えに心の欠損を埋める。
この構図は他の純粋な恋愛情緒を求める女性よりも性行為達成への難易度は容易く見える。

その「俺でもいけそう」という男性の一方的な評価がメンヘラ女子を表面上は面倒くさいと一蹴させつつ…
その裏のインターネット、マッチングアプリ上では樹液を発する樹木のメンヘラ女子と、それに集る欲を持て余した昆虫である男性の構図を作っている。

精神的負担の大きさや、行動の不規則さ故の不安要素は、ワケあり的な要素となる。
それが他の男性の選択肢ではなくなる競争率の低さを彷彿とさせる。
中落ち肉を選んだり、おつとめ品を選ぶような心地であろう。

その実は、その通りとはいかず、集まる男性は多く、メンヘラ女子もまた、選ぶ立場である相違がメンヘラ女子の需要を増やしている。

何よりも、ことメンヘラの代表として語られる鬱病は、主に生理周期を代表とするホルモンバランスの波の激しさから、女性の方が男性よりも1.6倍多い傾向にあると厚生労働省研究班の調べにあり、その数は女性人口の6%とも、8%~10%とも言われている。

そのため、母数で見ると確かに少数ながらに、メンヘラ女子とは意外と多い。
男性は手当り次第に女性とコンタクトを取る際には往々にしてメンヘラ女子と会うこととなり、その性質を容認できる方が性的欲求を満たす上で有利に働くのだ。


対して、メンヘラの男性はそれだけを見るとメンヘラ女子以上に嫌われてしまい…
取り付く虫も無くなってしまう。

ここまでのメンヘラ女子の説明でお分かりかもしれないが…
そもそも一般的には精神病がハンディキャップやマイナスのイメージが大きく、それ自体は魅力となることは少ない。
メンヘラ女子はそれを深々把握している。

というかは、把握しているから現状の変化に悩まされ、抜け出せず、男性よりも顕著に坩堝へと沈んでいく…

だからその埋め合わせとして、より庇護欲湧き起こす努力をする。
大きな目を演出し、濃いメイクをすることで愛らしさをアピールするのだ。

ところが、メンヘラの男性の多数派は、女性に対して庇護欲を大きく持たせようとする施策はあまりしない。
メンズコンセプトカフェや、メンズ地下アイドル、ホストは容姿を活かして漠然とした女性の虚無感の解消や、メンヘラ女子との仲間意識を持たせる方法で相互関係を築いている。
ところがこの群は男性全体のほんの一部に過ぎず、転じて男性向けの、女性を売りにした飲食店との店舗数の差はあらゆる繁華街を見れば明らかだ。

数人のメンヘラ男子とお会いし、その年齢層も様々に20代半ば〜50代と会話してみるも、メンヘラ女子と比較した際に庇護欲を持たせる外見的な努力をする人は皆無と言っていい。

メンヘラを負い目やハンディとは認めつつも、その埋め合わせをしない不思議さが目立ち
両性メンヘラを並べた時に自身の精神性への向き合う度合いとそれゆえの対策をしようとする態度の差はとても大きい。

もちろん、女性ゆえの外見を重んじられがちな風潮がメンヘラ女子にも危機感を与えているのもたま事実で結果メンヘラ女子の方が見た目をより良く見せようとする。
「女は愛嬌」のある種、慣用句化したフレーズがこれを証明しており
却ってメンヘラ男子が見た目を気にせずいる所以も、セットになって言われる「男は度胸」が影響している。
実際、見た目が悪かろうとモテる男性は存在する。
財力もそのひとつでありながら、度胸とも取れる行動力が鍵を握っている。
俗に言う実家が太い、という場合も多少ありつつも経済力に富んだ男性とは、結局は行動力がある。

世の潮流と時の運は確かにあるだろうが、とはいえその運を掴むのもまた行動ありき。

現在、交際関係や婚姻関係を結ぶ切っ掛けとも化しているマッチングアプリでも、男性が女性と会うファーストタッチにありつく為の方法は能動的にメッセージをすることに他ならない。

その取り柄となる男性の行動力が…
メンヘラであるアピールから損なわれてしまう。
その男性の精神病比率が女性よりも大きく少ないことも、男性なのに?と思わせる要素のひとつだ。
有名な話ながら自殺率に関しては男性の方が3倍多い。
つまりはどうしようもなく思い、自決に進む男性の数はメンヘラ男子が世間から認められていない証明になっているかもしれない。

男はつらいよ…
そう言ってしまうのも頷けることではあるが
とはいえ、男性の生きる理由の大きな救いになっているとも言えるのは、テストステロンの分泌量の多さと深く関連性のある、性欲である。

実際、彼が遅刻しようと主観中心に自身の苦労ばかりを前面に出して、ふてぶてしくも病をアピールしているのはズレではある。
それでも私に会おうとメッセージをして本人からすると怖い、らしい新宿まで来る行動力を持てたのは、何物でもない性欲の恩恵だ。
大袈裟に言うなら
鬱で外周が出来ず、寝て起きて虚無感を感じ、何のために自分が生きているのかを自問自答し続けているイケメンが居たとして
その人よりも
空気が読めなくても、深い二重アゴだろうと、なんか偉そうな態度だろうと、自分の落ち度の全てを認めようとしなくとも
メッセージで私にアプローチをして、外に出て、私と会おうとしている人の方が性的に男性を実感していると思う。

性行為をすることそのものを男性の存在意義とまでは言わない。
他の生き甲斐やアイデンティティがあればより良いに決まっているのだが
結局は安直かつ共有しやすい男性の性欲とは、特に無気力を強いられがちな鬱や、精神病への天然の特効薬となり得る。

その性質を上手く利用し、それこそフロイトの説いたリビドーに生きることで行動力の確保が出来てかつ病状改善の手立てともなる。


男性の鬱、もといメンヘラ男子は基本的には需要は無いのだが
前述した女性向けの人気商売への利用方法によって、メンヘラ女子、もとい多くの女性の漠然とした不安に共感をする要素としては他の男子に持ち得ない強みにもなる。

矢張り女性とは共感を求めており、その解像度の高さを有するは、親密さを深めることとも、交際関係や、性的関係を構築する際にも大きな柱となり得る。

この際、重要なのはなるべく話し相手への共感が出来る理由として、鬱の経験者であることや、その傾向が残っていることを伝える程度である方が多くは望ましいということであり
自身の境遇の不遇さを嘆くレベルでアピールをしてしまうと立場が逆転してしまい、知らずに共感を乞い、不幸自慢に手助けを求めている様に見えかねない状況になってしまう。

それはそれで女性の母性をくすぐる術にもなり得るが、容姿に病みを付与して、愛嬌によって助けさせる…
つまりは「病み営」とは多くはビジュアルの良さに依存するので、精神病経験者であることはあくまで共感のツールとする方が吉である。

人の吐露やヘイトがその人の顔を見ずとも往々として行き交うSNSをメインとするネット社会。

特にLINEは、社会的地位と技術の卓越さによる需要がない限りには切り離せないものであり
現代人とは常に病みと隣り合わせと言っていい。

従って精神病とは恥じることではない。
ところがこれが人から悪印象をうける可能性を理解しつつ、あくまで概念かつ特性として捉えてコミュニケーションツールとしてメンヘラを活用して欲しい。

今これを読んでいて、かつ鬱病の当事者である男性からすると、他人事だかって好き勝手に…
と思われてしまうだろうが、何事も1歩踏み出すところから。

大真面目に、男性の生来持っている性欲とは、抗うつ、抑うつ共に大きな役割を有しており、これを活用すれば、アナタの不遇からの脱却も現実性を帯びてくるのだ。

女性とは会いたいと思うそのものは決して悪ではなく、生物として正常である。
では、それを如何に双方合意の上に行うのか、という事に知的生命体たる発想を活かすのか。
そしてその発想を行動に実行するか。

その行動力の第1歩を自身に内在するエネルギーの再確認をしつつ、この記事の読破と共に歩んで貰いたい。

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