三井記念美術館のNHK大河ドラマ特別展「どうする家康」に行ってきました
4月15日に大河ドラマ大好きな友達と会う約束してたので、一緒に三井記念美術館に行ってきました。神田駅から徒歩10分ほど。
https://www.mitsui-museum.jp/
NHK大河ドラマ特別展「どうする家康」をやっていて、刀剣乱舞からは日向正宗とソハヤノツルキが展示されています(前期展示のみ。後期はソハヤの拵えが展示されるそうでそれも気になる)。
家康所持の貞宗の脇差も展示されていたけど、尾張徳川家に伝来した物吉貞宗とは別物なのか?
物吉君のパネルはないし、特に「名物物吉貞宗」と表記されてもいないし……まあ上杉家にも一文字や長船の刀何振りもあったから、家康も貞宗をいくつか持っていたってことなのかな。
三井本館の1階エントランスに入ったら、早速日向正宗とソハヤノツルキのパネルが置いてある。
これは別に入館料払わなくても見れるし、並んで写真も撮れます。
公式設定ではソハヤが178cm、日向君は144cmらしいけど、身長161㎝の私と並ぶとこんな感じ。日向君は本当はもうちょっと小柄なのでは?
予約は不要で特に並ばずに入れました。
最初の展示室には、家康の私物がいろいろ展示してあって面白かったです。
旅先で手紙を書くための筆と硯携帯セットとか。
スペインの難破船を助けた返礼品として、スペイン国王からもらった置き時計とか。
胃が弱くて自分で薬を調合していたので、漢方薬作るためのすり鉢とすりこぎ(頭にでっかい水晶がついていて大分大きい)。
「家康は臆病だったから、やっぱり毒殺されるのが怖いから自分で薬を調合していたのかな?」「健康に気を使っていたから最後まで生き延びて天下を取れたのかな?」と友人が言っていました。
家康が自分で薬調合して「おまえ腹痛いの?じゃあこれ、俺が煎じた薬だから飲みなよ」とか家臣にやってたりもしたのかな。もしそんなことされたらみんな「殿のためなら死ねる!」ってなっちゃうよね、なんて話もした。
家康の所持品、すごい地味。
家康の私物や茶道具は、かなり地味。
太刀の拵えなんかも展示してありましたが、茶色っぽくて地味。
これが織田家とかその家臣だったら、朱塗りの派手派手な鞘が流行っていたり、上杉家だったら鍔のない、白い優美な感じの拵えだったりするのにな。
あと地図を見るための螺鈿細工のコンパス(つってもやはり地味。経年で螺鈿が取れてるのか?黒い棒にしか見えなかった)や調薬のためのすりこぎなんかを見るに、理系男子で調薬や土木工事が得意だった家康の性格がしのばれます。
豊臣家の茶道具やお茶会の記録などの書面も展示されていましたが、足軽の出で自分の周りをきんきらきんに飾って富と権威を示さなくてはならなかった秀吉に比べて、家康は秀吉よりは血筋がいいので、そういうことに力を注がなくてもよかったのかな~と感じられる。
家康直筆の手紙もいくつか展示されていました。
父家康に母と兄を殺された亀姫に気を遣って「なかなか会いに行けなくてごめんね」って書いている手紙もあって、なんだか生々しい。
大きな屏風絵がいくつか飾られていて、かなり見ごたえがありました。
当時の地図や、合戦の様子。
森長可くんが討ち死にしてる図もあるよ!探してみよう!
特に関ケ原の合戦図は家康の養女が大名家に嫁ぐときに「お父様、この屏風ちょうだい!」とねだって嫁入り道具にしたとか。
ひえ~。
徳川家から嫁が来たと思ったら、なんかでっかくて立派な関ヶ原の戦いの屏風持ってきたぜ!こええ!ってなる。
将軍家の権威を示すのにぴったりな嫁入り道具ですな。
ソハヤも見たけれど……
最後の展示室にソハヤノツルキが展示してあるのですが、結構はっきり「典太光世の作じゃないよ」って書いてあったのが衝撃的で刀の姿形とか銘についてとか見たはずなのに全て忘れてしまった。
ショックというよりも、
「ええっ、こんなに堂々と刀剣男士のパネル置いておいて、そんなこと書く!?」
と思ったのでした。
(まあ、兄弟扱いされてる源氏兄弟や太郎太刀と次郎太刀は作者が別々らしいし、山鳥毛は戦国時代は長船兼光の作だと誤認されていたとか、小竜はなかなか折紙がつかなかったとか、人間の鑑定ミスは刀剣の歴史にはつきものではあるし、最新の研究結果が刀剣乱舞の設定と食い違うことは当然あるだろうけど)
なんかあまりにも衝撃的だったので、キャプションに本当にそんなこと書いてあったのかな……あれは私が見た夢?夢なの?もう一回美術館に行って確認したい……。
(ちなみに半券を提示すればもう一回行ったときに割引で鑑賞できるらしいです。でも1200円かあ、ソハヤの真偽を確認するためだけに行くのもな……もし行かれる方がいたらチェックして私に教えてください)
でもソハヤノツルキが典太光世の作刀じゃなくても、そう言い伝えられていた、家康がそう思っていたことが刀剣男士としてのソハヤにとっては大事なのかも……と思うとなかなかにエモいです。
※追記 どうしても私が見た幻覚では?という疑惑が捨てきれなかったので、同行した友人に聞いたら「確かに典太光世の作ではなく、弟子の作品と書いてあった」「作ったのは弟子だか、子孫だか、そんなことが書いてあった気がする」とのことでした。
なんというかこうさあ、歌仙に関しては逸話の真偽が怪しいのに、「あんなのは真っ赤な嘘で〜す!」って細川家の方たちが言わないのも粋だけど、ソハヤの場合は「典太光世の作じゃないけどなにか?誰が打ったとしてもこちとら江戸幕府の守り刀には変わりないんですけど???」みたいな、作者が誰でも存在はゆるぎないぜ!って感じもあり。
神号論争
あと天海が他のお坊さんと家康の神号を「権現」にするか「明神」にするかで論争して天海が勝利したので「権現」になったとか、「東照大権現」という名前は、朝廷が4通りの案を出した中から秀忠が選んだとか、知らないことがいっぱい書いてあった。
べ、勉強になる~。
人が神様になるのにもいろいろ手続きが必要なんだなあ。
面白かったのが家康は遺言で「日光に小さな堂を建てて弔ってくれ」と言ったらしい。ぜんぜん小さくねえ!