『孤独のグルメ』原作者が語る一人メシ論 「ネットの評価より自分の好み」/1月18日GLOBE+(聞き手:玉川透)
つい先日「孤独のグルメ」のドラマ版を全てネット配信で見た。その影響を受け、お好み焼き屋で井之頭五郎と同じように前菜的なものから注文、そしてメインのお好み焼きを頼んだはいいが、お腹がはちきれそうになってしまった。
ただ五郎と私、同じ孤独のグルメでも大きな違いが一つある。それは「口コミ」。ドラマを見ていて、なぜネットで検索しないのだろうか?との疑問があった。その方が手っ取り早いし、初めての店に対する不安の減少にもなる。だが五郎は自らの野性の勘とでもいうのか、自らの嗅覚でその日の店を決める。
原作の久住昌之さんは、「孤独の」グルメであって、「孤独な」グルメではないと言う。
少し真面目な話になるのだが、「な」は形容動詞の連体形で、「の」は連体修飾語となり、物や人の状態を表す。といっても、いささか分かりにくいかと思うので、「孤独」と「グルメ」を入れ替えてみると分かりやすくなるかもしれない。
これは文法的な話ではなく、感覚の話になるのだが、「グルメな孤独」の場合、(グルメな)人が孤独であるといった、孤独さが外に向かっており、寂しい感じになる。一方「グルメの孤独」は、逆に内に視線があり、自らが食しているものに向かっている感じがする。そこには他人は存在しない。
このたった一文字の違いが大きな違いとなっており、久住さんも言っているように、「五郎が自分の価値観を軸にして言っているのであって、他人がどう感じるかは関係ない」ことの表れである。
となれば、他人の評価である「口コミ」は、五郎にとっては関係ないのである。
久住さんの言葉で印象的だったのが、「一人でも、いいと思ったら知らない店でも入って、ここでは何を食べるべきかを考えて、おいしかったり、失敗したりすることをつみ重ねて、自分の味覚や好みを鍛えていったら」と。また、「自分の好みがはっきりしてきたら、一人であろうとみんなでいようと、他人の評価なんて、気にならなくなる」
なるほど。とはいえ庶民(五郎もだとは思うが)にとっては、知らないお店のお値段も気になるところ。おせっかいながら、五郎のエンゲル係数が気になる。取引先に行った時だけ外食で、あとはコンビニ飯なのだろうか?と勝手に心配してしまうのも五郎の人徳なのかもしれない。
もう一点気になるのが、五郎の下戸キャラ設定。久住さんは「漫画的には主人公、ヒーローには必ず弱点があった方が面白い」ので、「食べることでの弱点は下戸だった」そうだが、あまり酒の飲めない私としては、ここは大いに反論したい。久住さんはのん兵衛だから、のん兵衛目線になるのだろうけど、酒が飲めないことでうまい飯もある。
とまあこれはお互い様か。よくある「○○を知らないなんて人生の半分は損している」というやつである。
「時間や社会にとらわれず幸福に空腹を満たすとき、つかの間、彼は自分勝手になり自由になる。誰にも邪魔されず気を遣わず物を食べるという孤高の行為。この行為こそが現代人に平等に与えられた、最高の癒しと言えるのである」
これはドラマ版のオープニングナレーション(現在は違う)。これまで高級な食材、特別な空間や技術のあるもの=グルメといった作品が多かったように思うが、そんなものは関係なく、ナレーションにあるような状況が最高のものであると言う。
確かに。いつまでもこんな時代が続けばいいなあと思う。