21週6日、出生前診断をしない選択
きょう、21週6日になった。
妊婦生活は折り返しを過ぎているらしい。
今日までは、万一何かあった場合には流産と見なされるが、明日以降であれば「早産」となり、救命の対象となるのだそうだ。
法律上、中絶できるのも今日までだという。
これは、妊娠過程の中でも重要な節目のように思う。
わたしは30代後半で妊娠した。第一子、はじめての妊娠だ。
不妊治療をして、なかなかの時間とお金を使ったし、心身ともにきつかったし、不妊治療のために仕事も短時間のものを選んでいた。
女性は一般的に、年齢が高くなればなるほど妊娠率が下がり、産まれてくる子どもの染色体異常の割合は高くなるのだという。
30代後半。年齢が全てではないにしても、それほど楽観的でもいられない。
もし、自分の子どもに染色体異常があったとしたら?
わたしの周りにはそういう境遇の人がいないから、正直よくわからない。
子どもの合併症や生命の危機に怯える暮らしになるかもしれない。甘いものではないだろう。
それにもしわたしがずっと子どもの看病や介護をすることになったら、仕事どころではなくなる。
仕事は別にしたいわけでもないけれど、生きていくためには賃金を得なくてはならない。
じゃあ、それなら妊娠中に出生前診断をして、万一の時には諦めるという選択も視野に入るのか?
わからないまま、つわりによる脱水で入院することになった。
とにかく気持ち悪くて、吐いてばかりいた。
体重は落ち、点滴が生命線。シャワーも歯磨きも嫌で、ろくにしなかった。どちらも吐き気との戦いなのだ。食べ物や水はあまり喉を通らない。
それでも週に一度のエコーでは、子どもは確実に成長した姿を見せてくれていた。
数ミリの生命は、生きようとしている。
「週数通り、順調ですよ」
検診のたびに、医師はそう言ってくれた。
入院中に、同じく不妊治療で妊娠したという同じくらいの週数の人のブログを見つけて読んでいたのだが、その人は夫婦で話し合って、出生前診断を受けることにしたと書いていた。万一、結果が良くなかったとしたら、今回の妊娠は諦めるということも心に決めていたらしい。すごい覚悟だと思ったし、読んでいて心を揺さぶられるものがあった。
わたしももし、検査を受けるなら早めに決めないといけない。
でも正常な判断ができないくらい、ベッドの上でわたしは弱っていた。
気持ち悪い、つらい。
そして、こんな思いをしてせっかく頑張っているのに、そしてこんな母体の中で頑張ってくれているのに、諦めるなんてもう絶対にできないという思いだけが自分の中にはあった。
冷静な思考ではなくて、動物のような本能。
今回の子どもを諦めるとしたら、もう二度と妊娠することはないだろう。自責の念もあるかもしれないが、とにかくつわりの苦しさを経験したくないという気持ちが強かった。
私の場合、もし中絶を選んだとしたら、妊娠や子育てとは無縁な人生になることはあきらかだと思った。
私の中では結論は出ていた。
とはいえ、自分ひとりで判断するような性質のものではないので、夫にラインで相談した(退院の目処はつかず、コロナの影響で面会もできなかったのだ)。
夫の返信はわたしの考えとほぼ同じ。現段階で異常が見つかったわけではないのだし、結果がどうであれ自分たちの子どもを諦めることはできないから検査はしなくてよろしいというものだった。
染色体異常だけでなく、赤ちゃんの先天性異常は他にもたくさんあるのだという。産まれてからかかる病気もあれば、数年経ってから判明する発達障害のようなものもある。
その全部を徹底的に避けるなんて無理だし、それらを否定するようなことはわたしにはできない。
もし何かあったら、その時にできるかぎりのことをするしかないーー。
その夫婦共通の思いだけをぎゅうっと握りしめあって、22週にたどり着こうとしている。
もちろん、健康であってほしい。でも、こういう子どもであって欲しいと願うことはできても、それを押し付けることは不可能だ。
受け止め続ける親でありたいと思う。
子どもは、生きようとしている。