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『その昔、ハリウッドで』読書感想文(ちょいネタバレあり)

※映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のネタバレに触れています。ご注意!

クエンティン・タランティーノ監督作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のノベライズで、タランティーノ初の小説作品である。読まいでか!ということで読んだよ。

まず映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』がけっこう特殊な作品だったので、改めてまとめます。
舞台は1969年のハリウッド。
ストーリーには2本の軸がある。
①落ち目の俳優リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)とそのスタントダブルであるクリフ・ブース(ブラッド・ピット)の友情。
②リックの隣に住む新進気鋭の映画監督ロマン・ポランスキー(ラファエル・ザビエルチャ)の妻である女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)に忍び寄る怪しげなヒッピーコミューン『マンソン・ファミリー』の影。

①は完全なフィクションだが②は史実を元にしており、シャロン・テートもチャールズ・マンソンも実在の人物。俺はこの時代には生まれてないからリアルタイムでは知らない人たちだが、映画好きであったり現実に起こった凄惨な事件を調べるのが好きな人なら聞いたことがある名前だろう。
知らなかったらぜひググって詳しく調べていただきたいところだが、超ざっくり要約すると、マンソン配下の過激派によってシャロンがお腹の赤ちゃんともども殺害されてしまう、というのが1969年に実際に起きた事件。
当時まだ小さい子供だったタランティーノはすでに映画オタクの片鱗が芽生えており、この事件にたいそうショックを受けたというのをどっかで読んだ気がする。

映画のクライマックスで、まさにその事件の瞬間が描かれるのだが、フィクションのマジックを使って歴史を改変するのがタランティーノ印のパワープレイ。ファミリーたちはリックとクリフによってギッタンギッタンにされ、シャロンが殺されることはない、というオチになる。タランティーノにとって、大好きな映画の世界を汚したヤツらは許せんという怒り、シャロンに生きていてほしいという祈りのラストだ。

ここまでが映画版のあらまし。
上映時間3時間近い大ボリュームの映画だが、小説版はさらに増量して分厚い本になっている。紙面の多くを占めるのは、タラちゃんのオタクっぷりがふんだんに揮われた映画トークの数々。当時の映画業界の中の人がその内幕を喋りまくる会話は正直何言ってるのかよくわからんが、注意深く読んでいると、史実の中に本作独自の嘘を織り交ぜたオリジナル映画史が語られていて楽しい。
そしてその中に、作者であり映画史に名を残す映画監督でもあるクエンティン・タランティーノその人もチラリと姿を見せる。タラ本人がチラつく記述は二か所ほど。それは憧れてきた監督や俳優たちによる歴史の流れの中に自分自身もいるんだぜという喜びの表象であり、タランティーノが書かないと成立しない、誰にも真似できない映画愛の小説として完成している。ずるいわぁ。
そう、映画版も小説版も、この作品の大きなテーマは映画愛であり、映画を作ることの喜びである。シャロンが映画館で自分の出演作を見て、自分の演じたギャグが観客にウケているのを見てニッコリする名場面によく表れているが、小説版ではより多くの映画愛描写が追加されている。
特に、俳優として行き詰まっていたリックがどうやって自信を取り戻すのか、その着地のあまりにストレートな映画LOVEっぷりには思わず泣きそうになっちゃった。

シャロンが救われるのは映画版と同じだが、こちらも救われ方がだいぶ違っている。スクリーンに映えるドンパチ重視の映画版に比べ、小説版はより優しく、「怒り」の要素がないIFルートになっている。このIFルートとはつまり、史実のIFであり、映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のIFだ。
終盤のシャロンとポランスキーの会話の中で、史実とは違う方向に向かう発言をシャロンがするけども、これは女性の意思が夫婦関係を主導できてたら的な意識もあるのかなと深読みしたりした。

池上冬樹の解説にあるように、映画版と小説版はふたつでひとつな作りにもなっており、というか映画版で描かれたもろもろが小説版では詳細に説明されるので、読んだ後で映画を見返したら理解度が跳ね上がった。初見ではよくわからずぼんやり見てた描写が全部理解できるようになって気持ちいいので、その点だけでも読むのオススメ。小説版ではリックとクリフの友情物語としての側面がやや薄まってるようにも感じたので、やはり映画と小説がお互いを補完しあってるのだろう。