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地方でいち早くシェアハウスを立ち上げた話

|海外から帰国後、地元の不動産屋に就職

わたしが富山市で初めてシェアハウスを始めたのは2009年10月頃。
その半年前にオーストラリアでのビザが切れて地元富山に帰ってきたばかりだった26歳のわたしは、お金もなく、やりたい事もなく、地元の小さな不動産屋に就職しました。

話せば長くなるので割愛しますが、オーストラリアでの2年の生活で、異文化に衝撃を受けたわたしは、将来的に自分で事業をしたいと思うようになりました。
実はこの帰国直前には、メルボルンで一度冷凍食品(フルーツ)の輸入販売を起業し失敗、一文なしになって帰ってきています。
このエピソードは、いつか紹介出来たらと思います。

もの凄くベタな理由ですが、オーストラリア滞在中にわたしは「金持ち父さん、貧乏父さん」というロバートキヨサキ著の本に出会います。
そこでは、人生を豊かにするために以下のように書かれていました。

  1. マイビジネスをやりなさい

  2. 不動産に投資しなさい

  3. 余剰資金でペーパーアセット(紙の資産/株や為替など)に投資しなさい

異国の地ですでにマイビジネスに失敗しているわたしは、お金も目標もありませんでした。
また、2.の「不動産に投資しなさい」は、お金がないのに出来るはずがありません。
しかし、不動産屋で働けば、不動産投資の勉強は出来るんじゃないか?
そう思ったわたしは、メルボルンから地元富山の不動産屋へ片っ端からメールで面接希望を送りました。
そうやって運よく、帰国後すぐに就職先を見つけられたわたしは、ひとまず実家から通いながら新しい生活をスタートしました。

|1棟目の物件との出会い

実家暮らしに不満は何一つないものの、オーストラリアでのシェアハウス生活、つまりは文化も価値観も常識も違う同年代たちとの共同生活は、毎日が刺激的で、次第に直前まで当たり前だったそんな生活が恋しくなっていきました。

そんな中、不動産屋で働き始めて半年、大きなチャンスがめぐってきました。

富山市中心部で、各部屋の独立性が高く、生活の利便性も高い、そしてなんといっても”デカい”豪邸の空き家相談が舞い込んで来たのです。

物件の調査に行ったわたしは、見た瞬間、ここでシェアハウスがしたい!と思いました。
これが富山県で第一号となる、地方都市で最も早く誕生した(と、思われる。。)、地方シェアハウスとの出会いでした。

田舎にしては好立地で賃料も高額だったため、帰国後まだ半年で貯金もほぼないわたしにとって敷金、礼金、仲介手数料、保険、家具家電準備などで約100万円は、とても厳しい金額でした。

今思えば起業後数年、綱わたりも良いところな経営で何とかやってこれたヒントが、この最初の物件契約にあったのかもしれません。

ここの仕組みはまた次回、ご紹介いたします。

比較的参入障壁の低いシェアハウス運営の、始め方のヒントを今後たくさんご紹介していきますね。

それではまた。


最初はいろいろ手作りしてたな

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