世界の名匠 ゴッホ
こんばんわ。
本日から世界の名匠シリーズとして
誰しもが知っている有名な画家の紹介やエピソードを綴っていこうと思います。
記念すべき第1回目は『ゴッホ』
絵画に興味のない人も知っているくらい有名で
画家の中で世界一有名といっても過言ではないんじゃないかなと思います。
ではいきましょう
フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh) 1853年3月30日 - 1890年7月29日 生きてたら167歳ww
意外とそんなに古い人ではないんです。
歴史上の人物って500年前とか紀元前のイメージがありますが
ひいじいちゃん位の感じですww
オランダ出身のポスト印象派の画家。 主要作品の多くは1886年以降のフランス居住時代、特にアルル時代(1888年 - 1889年5月)とサン=レミでの療養時代(1889年5月 - 1890年5月)に制作された。感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派を代表する画家である。フォーヴィスムやドイツ表現主義など、20世紀の美術にも大きな影響を及ぼした。
↑google先生で検索するとこんな感じの紹介になります。
まずポスト印象派とはってなると思いますが
印象派を語るうえで忘れてはいけない画家
クロードモネとルノワールですね
まず彼らが活躍する以前、画家の仕事というのは
宗教の普及のために絵を描いていました。
キリストの肖像画であったり等です。
そしてもう一つは貴族たちの肖像画を描く仕事
宗教普及のための絵などを描き、認められ貴族に紹介してもらい、パトロンになってもらう
という流れが一般的だったみたいです。
その流れに一石を投じたのが【モネ】と【ルノワール】でした。
若手であった彼らは宗教の普及の為や、貴族のご機嫌取りの為に絵を描きたいわけじゃないと反旗を翻し
若手たち数名を集め、自費で個展を開き始めました。
印象派=アート界の若手、チャレンジャーといった感じです。
印象派のテーマというのは『自然と市民』を描いていきます。
先述したように、それまでは宗教画だったり、貴族の肖像画だったりといった絵画から
今、目の前に広がっている当たり前の風景だったり、その風景の中の一般市民を描いていく絵画に流れが変わっていきます。
そんな印象派と呼ばれる絵画の影響を色濃く反映されたのがポスト印象派と呼ばれる所以となっています。
そしてポスト印象派と呼ばれるゴッホですが
彼の生前は苦しみの連続でした。
まず生前、彼の絵は評価されませんでした。生前は数枚しか売れなかったそうです。
死後、医師ガシェの肖像画・・・114億円 ひまわり・・・53億円と破格の値段でやり取りされるなど当時彼を知っている人は誰が想像出来たでしょうか?
オランダ南部の小さな村で生まれたゴッホ。
弟との二人兄弟で、16歳から叔父の美術商会で働いていました。
しかし叔父とそりが合わず、やめてしまいます。
いくつか仕事を転々とし、ベルギーで伝道師として職務を果たすが周りの他の伝道師からも爪弾きを食らいました。
あまり人に合わせたり、人の意見を取り入れることが苦手だったみたいです。
そして元々若いころから絵画に触れていて、絵を描くのも上手いということで27歳の時、画家を目指し始めました。
30歳になったゴッホは、パリロンドンの個展を観に行くこととなります。
そこでであったのが、モネ、ルノワールが始めた個展でした。
そこでゴッホは衝撃を受けます。
印象派のテーマである『自然と市民』そして光という大きな力を感じました。
それまでのゴッホは暗い絵を描きがちでした。精神状態がはっきりと作品に投影されてたとも言われています。
しかしロンドンで衝撃を受けたゴッホは、光に魅了され、明るく色鮮やかな絵画を描くようになっていきます。
そしてモネやルノワールのように仲間を集め個展を開こうと
南フランスのアルルに通称黄色い家と呼ばれるアトリエを借り、そこで仲間を待ちながら創作していきます。
そこで生まれたのが有名な『ひまわり』だったり『アルルの跳ね橋』です。
絵を見てもらうと解るように、黄色を主体とした幻想的であり、明るい日常風景が描かれていきます。
その頃のゴッホは心から幸せを感じていたように感じますね。
・・・しかし仲間は誰も来ませんでした。
そんな時、ゴッホの弟がゴーギャンを連れてきました。
ゴーギャンはアトリエをタダで貸してもらえるという事でその黄色い家に来ただけで、決してゴッホと仲良くとは思っていませんでした。
だからなのか、やっぱりゴッホとゴーギャンの仲は上手くいかず
やがてゴーギャンは出ていってしまいます。
そのせいなのか定かではありませんが、36歳になったゴッホは自ら南フランスの病院に入院することになります。
諸説ありますが、持病があったというより精神的に病んでおり、発作を起こしていたそうです。
そんな入院生活でカウンセラーとしてゴッホの近くにいたのが、ガシェという医者です。
そうあの114億円で落札された『医師ガシェの肖像画』のモデルとなった医師です。
・・・ただガシェとも折り合いが合いませんでしたww
もう彼は誰とも分かち合えない人なのかもしれませんwww
その入院中もたくさんの絵を描いていたそうです。
一説によると1日1枚のペースで70枚ほど描き終えたともいわれております。
そのころのゴッホの絵は、渦を巻くような印象を与える絵が多く、力強くもあり悲しげでもあり、自分の中感情が誰にも理解されないもがき、苦しみの感情が表現されているような気がします。
そして37歳のある日
自ら銃でその生涯を終えることとなります。
画家歴たった10年。誰にも評価してもらえず、誰にも理解されず
もがき苦しみながらその生涯を自らの手で幕を下ろすこととなります。
と、思っていました。が、
死後ゴッホの弟テオに向けて書いた手紙が900通ほど出てきました。
その中には、感情をあらわに短絡的に描いたと揶揄されていた絵は
実は、すべて計算の元描かれていたという事が分ってきました。
次描く絵は、こういうふうな構図で、色味はこうで
このような表現をしたらこんな感じになるだろうと、事細かに分析しそして、階段を一段一段登るように、画家として進化していくという強い信念を感じさせる文がそこにはありました。
そして弟の存在は、ゴッホを決して独りぼっちにさせない
強い兄弟愛を証明させていました。
どうでしたか?
画家といえど、一人の人間。
ただ一枚の絵の中に沢山の物語があります。そんなエピソードを知ってから見る絵は、最初に見た時の印象とは180度変わって見えてくるかもしれません。
一度気になった画家さんの生涯を調べるのも楽しいかもしれませんよ?
今回はこのへんでwww
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