![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/39327858/rectangle_large_type_2_6961f8fc6a8ac59efb58874d0324eceb.jpg?width=1200)
私たちはなぜ「日本人らしい」のか
子が親に甘える。
日本ではごく普通に使われる言い回しだけれど、外国語にはこれに当てはまる表現が存在しないそうだ。
半年前に緊急事態宣言が発令されていた頃、
土居健郎著の『甘えの構造』という本を読んだ。
どの国にも言えることだけれど、私たち日本人にも、他国にはない独特の習慣がある。たとえば空気を読むとか、遠慮するとか、日本人なら自然と身につけて無意識に行っていることがなぜだか外国の人には通用しない。
日本人同士なら口に出さなくても分かり合える、コミュニケーションにおける大前提がありそうだ。でもその正体は何だろう?
甘えの構造を突き詰めるために、この著書では日本人らしさについて様々な観点から考察がされている。甘えに端を発した日本の言葉が多く例として取り上げられ、義理や人情、同性愛、日本人に欠如しているパブリックの精神、自由に対する西洋との捉え方の違いなどについても解説されている。そんなところにまで!と思うほど、甘えというのは日本人の心に根ざしたものなのだ。
全てを上手に要約できたらいいのだけれど残念ながら私にはそこまでの国語力がないので、特に印象に残ったテーマについて自分なりに少し考えてみた。
そもそも甘えとは
甘える、という行為自体は国を問わず誰にでも見られるものである。しかし精神科医である筆者はこの「甘える」という行為を日本語ほど的確に示す言語は他にないという点に目を向けている。
日本人はハッキリとものを言わない、何を考えているか分からないという漫然としたイメージを持たれがちだが、その分私たちは他人の気持ちを察したり思い図ったりする機会が多い。
自分が希望を伝えなくとも、相手が手を尽くし、もてなしてくれる文化。これは相手への期待すなわち甘えを抱く側と、その甘えを汲み取って行動する側、両方に共通の観念がないと成立しない。
当たり前すぎて意識していないだけで、私たちは甘えに対してとても敏感なのだ。
甘えたがる人ほど、赤の他人に冷たい
日本人の社交性の特徴のひとつに、「内と外を区別する文化」がある。
一番内側は家族や非常に親密な人。
中間は友人や関わりのある他人。
そして外側は全く関わりのない他人。
この内と外の関係性に対して、遠慮がどのように働くか。
気を許した身内に遠慮する必要はないが、中間の人、つまりそれなりの付き合いのある相手には遠慮が働く。しかし私たちは、全く関わりのない他人に対して遠慮することはない。
作者は、親しい身内と赤の他人に対して私たちが同じように無遠慮に接する点に注目を置いている。そして、前者に対しては甘えがあって無遠慮になるのに比べ、後者に対しては甘えられないから無遠慮になるという、同じ無遠慮でもその背景は異なると指摘している。
日頃から甘えに頼って生きている人ほど、他人ばかりの世界に放り出された時に甘えが通用しないので虚勢を張り、人を喰った態度に出るのである。
たとえば国外の旅先で大胆な行動に出がちな日本人が多いのは、開放感だけでなく、日本人同士なら通じ合うはずのことが分かってもらえない、いつものやり方で物事を進められないことへの不安の表れなのかもしれない。あるいは日本で言うところの「甘え」による行動が外国では理解してもらえないのと同じように、日本では「無礼」なことも外国では無礼として認識されないと誤解している節があるのだろうか。
SNSでも同じことが言えそうだ。相手の顔が物理的に見えないからというのももちろんあるけれど、現実世界で自分と関わりを持つことはないであろう相手を批判したり言い負かせることによって、甘えが使えない環境であたかも自分が闘えているかのように錯覚するのかもしれない。
身内にはベッタリ・赤の他人には氷のような態度で接する人は、結局は自分に自信が無く、他人を威嚇して自分を守ろうとしているのだ。
この内と外に関する章を読んだ時、私は自分の弱みを言い当てられたような気がしてグサッときたのを覚えている。家族や親友に対して、あからさまにとはいかないまでも心のどこかで当てにしている。自分は甘えが強い人間だという自覚があるから、余計にこの本を読んでいて納得する部分が多かった。身に染みついた「甘え」の感情を減らしていくことは私にとって難しい。なぜなら私には「独立した自分」がないからである。甘えられる誰かの存在ありきで自己を肯定してきたのに、それができなくなれば私は自分の存在が分からなくなってしまう。
甘えというものは人間が成長するうえで不可欠な要素だ。甘えてばかりでは一人前になれないが、甘えることを許され、受け入れられたという経験がなくては自分を大切にする気持ちは生まれない。だからひとりで頑張りすぎてしまう人は少しくらい誰かに頼ってもいい。甘えることは人として当然のことだから。
対する私は以前、仲の良い友人に「るるは絶対、鬱にならない」と言われたことがある。人の優しさにつけこんで図々しく甘える、ある意味自己中な私の性格を裏付ける言葉かもしれない。
それと、海外志向の強い人はよく周りから「気が強そう」「自分がある」と捉えられがちだ。その人が「日本人らしくない」ということを暗に意味する言い方だが、ではなぜ日本人は「日本人らしい」のか?と問われると答えはぼんやりとしていて掴み所がない。『甘えの構造』では日本人に対する抽象的なイメージが論理的に言語化されているため、読んでいるとモヤモヤが解消されていくようで面白い。自分のアイデンティティーに対する新しい気付きもあった。
ちなみに「気が強そう」の「気」や「自分がある」の「自分」という言い回しも実は、甘えと深く関わりのある日本語らしい。そんなことも本書では解説されている。
本著についてもう少しまとめてみたいテーマがあるのだけれど、いかんせんアウトプットが苦手なもので、時間がかかりそうなので続きは次回。ぼちぼち書いてみます。がんばるぞ。
いいなと思ったら応援しよう!
![るる](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/121792597/profile_f6b10cc38b48c090f7b387dcd9f5c425.png?width=600&crop=1:1,smart)