75、人の振り見て我が振り直せの本質
始めに本質から言うと
自分の解放されていない部分、
自分の我慢してきた部分、
自分の癒えてない部分、
そうした部分に気付かせてくれるのが
人の振り見て我が振り直せである。
私も前は、
他人がしていて不快に感じることを
自分は他人にしないとか、
他人がしていて恥ずかしいと見えることを
自分はしないとか、
そう言うことを
人の振り見て我が振り直せと言うのかと
思っていた。
でも、少し今は解釈が変わった。
今日はそこについて
お話しをしていこうと思います。
人に言われて嫌悪感を抱く、
人を見ていてすごくザワザワしたり
嫌な気持ちになる時が人間あると思う。
私の場合の例で出すと、
ものすごく駄々をこねて
騒いでいる子どもを見たり、
道端や公園で
缶チューハイを飲みながら騒いでいる人達、
どんな手段を使っても
自分の思うように進めようとしてくる男性、
全く関係のない他人に対して
いちいち何か言っている人達、
人の迷惑になるとか
その行為が良い悪いと言う
ジャッジは抜きとして、、、
ものすごく嫌悪感があったり
胸の辺りがザワザワする感覚があった。
本人達には何も言わない。
でも、確実に自分の中では
迷惑云々とかとは別の
嫌悪感や心のモヤモヤがあった。
他人に対してそういった感覚がする時
実は自分の内面で何かがある時と言える。
私の上記の件の場合、
私は幼少期から
ものすごく聞き分けの良い子どもであった。
親や親戚がそういったことで
手を焼くことはなかったと言う。
賢い子、大人びた子と
親や親戚、先生から言われていた。
でも、その反面で自分の中では
幼少期からかなり理性を使って
自制していたのだと思う。
だから、理性的でない行動に
嫌悪感が出てきていたのだと気が付いた。
きっと私自身の
無邪気な少女性は
ずっと押し殺されてきていて
解放されていないのだろうと。
そこに気が付いたら
自分の次の課題が何なのか?
何にどう向き合えば良いのか?
導かれていく。
つまり、
人の振り見て我が振り直せと言うのは
表面上のことではなく、
もっと本質的な意味なのではないか?
そこに目を逸らさずに
深い深い部分まで向き合っていけば
魂の道をどんどん進んでいくことが出来ると
感じた。
繰り返しになりますが
自分の解放されていない部分、
自分の我慢してきた部分、
自分の癒えてない部分、
そうした部分に気付かせてくれるのが
人の振り見て我が振り直せである。