61、魂の意識とエゴが主導権を握っている状態の違い
今までの恋愛は、
思考による条件や好みに少なからず
少しでも当てはまる人を
パートナーにすることが多かった。
私の場合は、
顔面が良い、
細身で程よく筋肉がついている、
お金を稼ぐ能力が人よりもある、
優しい、
穏やかで怒らない、
私のことをかなり好き、
このあたりのどれかに当てはまる人を
選ぶことが多かった。
お付き合いをしているうちに
細身で筋肉ついている人が太ったら
気持ち悪いと思ってしまったし、
優しいと思っていた人の
そうでない部分を見たら
一気に萎えたし、
穏やかだと思っていた人の
怒っている姿を見たら
拒絶したくなった。
ツインレイの相手は
思考による条件や好みを超えてくる相手。
なぜかわからないけど
無条件に既に惹かれている。
そこに気が付かないで
以前と同じような恋愛の関わりをしていた。
ただ、一緒に過ごしていく中で
本能的に惹かれるからこそ
強い嫉妬や執着も感じた。
会えない、なぜか思い通りにいかない、
そんな状態が続いて
好きなのをやめようとか
嫌いになろうと思ったこともある。
嫌いになろうって
足掻いたし、もがいた。
でも、冷静に考えてみる。
仮に既婚者だとしたら嫌いになる?→ならない。(嫌だけど、嫌いにはならない。嫌なのは私の嫉妬)
仮に犯罪を犯したら嫌いになる?→ならない。(何か理由が必ずあるはずだから話を聞くし、ミカタになる)
仮にホームレスになったら嫌いになる?→ならない。(一緒にできることからしていこうと支援する)
仮にものすごく太ったら嫌いになる?→ならない。(ただ彼には健康でいて欲しいから私が一緒にできることを取り組む)
結論、王子のことは嫌いにはならないのだ。
それが無条件の相手ということ。
それに気が付いた私は思考の転換をしてみた。
そもそも嫌いにならなくていい。
どれだけ好きでいてもいい。
どれだけ愛してもいい。
そこは曲げなくていいんだ。
そこは主軸なんだって。
では、、、向き合うのは、、、自分。
勿論、当たり前にそばにいたいし、
ぎゅーってしたいとかはある。
それ自体が悪いことではない。
ただ、愛の不純物を取り除くために
それは一度わきに置いておき、
何で彼が好きだとそばにいたいのか?
そう自分の奥底の気持ちをのぞいてみた。
①他の誰かに取られたくない(嫉妬心)
②好きなら一緒にいて当たり前(この世のルール)
③忘れられたくない(不安、恐怖)
この気持ちをベースに
これが叶わないのなら嫌いになろう、
好きなのはやめようと考えさせるのが
自我(エゴ)である。
純粋に一緒にいたいって気持ちに
このようなネガティブ意識が張り付いていた。
そしていつの間にか
魂の『相手を愛している』
『相手のことが好き』って気持ちよりも
自我(エゴ)の意識の方が
主導権を握っている状態に
上手くすり変わっている。
本当に巧妙だから気が付きにくい。
私が、嫌いになろうと考えたのも
自我(エゴ)の方が主導権を握っている状態。
そこを魂が主導権を握る状態に戻していく。
魂の意識は彼を無条件に愛しているのだから。
でも、エゴのことも
責めなくていい。
忌み嫌わなくていい。
自分が傷付かないように、
自分への愛でしていることだから。
ゆっくり魂の意識の自分と
自我(エゴ)とで
コミュニケーションを取って
信頼関係を築いていけば大丈夫だから。