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あなたの育ったところはどんなところですか?

急に思い立って 
いや 
昭和100年
戦後80年
還暦60才を迎える
時代と人生の節目に

私という人間が

どんなところに住んで
どんな言葉を使って
どんな物を食べて
生きてきたのか

生まれ育った土地
ご縁あり 住まう土地を通して

つながり観えてくる世界を
感じてみたくなったのかな?
と いま感じています。

感じたこと 
教えてもらったこと
調べたこと
そして 思い出してきたことを
通して
私だけでなく
ご縁ある皆さま
目にした皆さまが

自分を そして日本を感じる機会に
なりましたら うれしくおもいます✨



私の生まれ育った ところは
和歌山市の加太

みなさん
友ヶ島ってご存知ですか?
紀淡海峡に浮かぶ
瀬戸内海国立公園の一部
地ノ島・神島・沖ノ島・虎島を総称して
友ヶ島と呼ばれています。

友ヶ島までのフェリー廃船の危機も 
「天空の城ラピュタ」の世界を
彷彿させると 人気が出て
シーズンには整理券発行
している時もあるようです。

友ヶ島といえば ご存知の方も
多いと思いますが

友ヶ島は(Wikipedia参照)
明治時代に大日本帝国陸軍により、外国艦隊の大阪湾への進入を防ぐ目的で、沖ノ島内5箇所と虎島に砲台や防備衛所が造られた。第二次世界大戦までは要塞施設として一般人の立入は禁止され、当時の地図や地形図にも白く塗りつぶされて記載されなかった。島内の遊歩道に道幅の広い部分が多いのは、砲台などへ通じる軍用道路として開削されたためである。
後の第二次世界大戦は航空戦主体となり、対艦用に造られた砲台は使用されることのないまま終戦を迎えた。戦後は友ヶ島全体が瀬戸内海国立公園に指定された為、終戦時に爆破処分された第2砲台以外は軍事施設跡が比較的良好な状態で残っている。


今 思えば戦後20年に
生まれた私の幼少期は
戦争の跡が残っていたように思います。

幼稚園に入り
幼馴染が 加太駅の近くに
引越しします。

字名は 新町
新しくできた 住宅地
住宅が建つ前はあたり一帯を
〝でんぺいじょ”と呼んでいて
幼いから 聞きとれず
〝でんぺいじょ”と思ってましたが
それは「練兵場」
加太にいる 兵隊さんの訓練の場を
戦後 住宅地として
新しい町とした。
だから新町なんだと
思いいたります。

その他にも
私が 小さいころはまだ
軍の病院跡が残っていて
親の言うことも聞かず
探検といって
見に出かけたことも思い出します。


思い出しながら
思うのは 病院跡と言うのは
探検に行くようになって知った事で

教えてもらう前から
私たち子どもは 知っていたんですよ!

それは 病院跡だけでなく
山を登る 上り口も
どの道から 林の中を入っていけるか
また どこに通じているか

教えてもらってないのに
知っていて 危険だとも思わず
探検していた

親に 道を教えてもらわず
どうして わかっていたのでしょう?

そして 不安なく
どうして まだ行ったこともない
連れて行ってもらったこともない
ところへ 行けたんでしょう?


今 思い返してみると 
不思議でたまりません。

大丈夫!と
おもしろい!を
キャッチするセンサーが
備わってたんでしょうか?


なんだか友ヶ島から戦争の話しになり
子どものセンサーの
取り留めない話しになりました。


でも 昔の 
冒険する心 探検できる心を
思い出せ
人生まだまだこれからじゃん!
あの頃のように
純粋に おもしろいを
楽しんでいけるよ
と 自分に話しかけれました。


みなさんも
記憶の奥底に眠ってる
小さな自分を 揺り起こして
会話してみて♪
そして かよさん  
こんな自分に出会えたよ!
と 教えてもらえたら うれしいです✨

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